2023.07.09

CARS

幻に終わったマクラーレン初の公道用スポーツカー、M6GTはこんなクルマだった

現在もF1に参戦するイギリス・モーターレーシングの名門であるマクラーレンが2023年で創設60周年を迎えた。彼らはレース活動のかたわら、市販スポーツカー事業に着手し、1992年の「マクラーレンF1」を皮切りに数多くスポーツカーを輩出している。その原点となるのが、残念ながら市販化には至らなかったM6GTだ。

ブルース・マクラーレンの夢

史上最年少の22歳104日での59年F1アメリカGP優勝、同郷のクリス・エイモンと組んだフォードGTでの1966年ル・マン24時間優勝、ジャック・ブラバムに次ぐ史上2人目の自身の名を冠したマシンでの68年F1ベルギーGP優勝、そして67年、69年の北米Can-Amシリーズ・チャンピオンなど、レーシング・ドライバーとして、レーシング・コンストラクターとして、レーシング・チームとして望むべく最高の結果を得てきたブルース・マクラーレンが、唯一叶えられなかった夢、それが自身の名を冠したロードゴーイング・カーの製造、販売であった。

ブルース・マクラーレン

ル・マン24時間レースも画策

マクラーレンは66年からCan-Amシリーズに「M6A」を投入。大成功を収めると68年からトロージャン・トーラナック・レーシングでカスタマー用の「M6B」の製造を開始した。そして69年にFIAグループ4の年間生産台数が50台から25台に引き下げられると、ブルースはM6Bをベースとしたクローズド・マシンを製作し、ル・マン24時間への出場、そしてそのロードバージョンの市販を画策する。こうして生まれたのが「M6GT」だ。

実際に市販されなかったこともありM6GTに関する資料は非常に少ない。そこで現時点で判明していることを整理してお届けしたい。



M12ベースのクローズド・クーペ

ベースになったのはM6Bの改良型として69年からトロージャンで製造がスタートしていた「M12」(とはいえ、基本的にアルミ・バスタブのモノコックは共通であった)である。なぜM6GTを名乗ったのか?は想像でしかないが、25台の規程を満たすために、あくまでもM6A/Bの派生車種であると主張するためだったのかもしれない。

いずれにしろM12のモノコックにM12をベースとしたクーペ・スタイルのカウルを被せたM6GTは開発が大幅に遅れたうえ、FIAとの見解の相違もあり、ホモロゲーションを獲得することはできなかった。

そこでブルースはロード・カーのみのプロジェクトに変更。こうしてM12(シャシーナンバー60-01)のモノコックを使用した1号車、「M6GT-1」は70年初頭に完成する。

M6GT-1

レースカーも存在

しかし、その前に完成した個体があった。それがM6GT-1と並行して製造されていたレース仕様の「M6GT-2R」だ。オーダーしたのはF1出場経験もあるプライベーターのデイヴィッド・プロフィット。実は69年のロンドン・レーシングカー・ショーで未完成だったM6GTが展示された。その際に、彼と共に数人がレース仕様をオーダーしたものの、69年シーズンの開幕に間に合わないだけでなく、グループ4のホモロゲも取得できないことがわかった時点でキャンセルしている。

プロフィットのM6GT-2Rはシャシーナンバー60-15のM12のモノコックを使用して製作され69年4月に完成。特徴的なのはリトラクタブル式をやめ、固定式にした2灯式のヘッドライトで、新たに50-17GTのシャシーナンバーが与えられた。しかしホモゲーションに合致しないプロトタイプのためFIA公認レースには出場できず。半年ほどローカル・レースを走り、戦績は8月のクリスタルパレスで優勝した以外すべてリタイアに終わっている。

そこでプロフィットはM6GT-2Rをグループ7のM12に戻し、70年いっぱいまでレースで使用。71年にクーペ・ボディに仕立て直し売却した。現在は後述するGT-1969Eと同じスタイルのボディにレストアされ、アメリカのコレクターの元にある。

M6GT-2R

ブルースの死後にもう1台製作

M6GT-1、M6GT-2Rの完成後、トロージャンではショーカー用にもう1台のM6GT(シャシーナンバーGT-1969E)が製作された。内容は基本的にM6GT-1と同じながら、ヘッドライト、ウインカーレンズを覆う大型のライトカバーを備えたボディにリデザインされたGT-1969Eはすぐにアメリカに送られ、72年のニューヨーク・モーターショーに展示。カリフォルニアのテッド・ピーターソンに売却された。彼はGT-1969E に470PSの6.6リッターのシボレーV8を搭載し日常で使用。74年12月の『Road & Track』誌で取材され、表紙を飾ったことで一躍有名になった。

その後売却され、2人のオーナーの手を経たGT-1969Eは路上でクラッシュし大破。残骸が現オーナーに引き取られ、今もレストア中であると伝えられる。

一般にブルースの1号車のほかにトロージャン製の3台の計4台が製作されたという説(中には8台説もある)が有力とされているが、現状、当時製造されたM6GT(全てトロージャン製)として確認できたのは、M6GT-1(60-01)、M6GT-2R(60-15/50-17GT)、GT-1969Eの3台だけだ。

その後、元マクラーレンのジョン・コリンズによって、70年代から80年代にかけM12やM6B、さらにF5000マシンのM10Aから数台のM6GTが製造されているが、それらの正式な台数は不明である。

GT-1969E

文・写真=藤原よしお

(ENGINE WEBオリジナル)

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