2024.02.23

CARS

アナウンサーの上柳昌彦さんがラジオに惹かれたのは、映画で見たダッジ・チャレンジャーがきっかけだった! クルマがない今もドライバーへ声を届けるラジオの仕事を続ける理由とは?

アナウンサーの上柳昌彦さんと憧れのダッジ・チャレンジャー。

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クルマ好きのゲストを迎え、「これまでに出会ったクルマの中で、人生を変えるような衝撃をもたらしてくれた1台」を聞くシリーズ、「わが人生のクルマのクルマ」。今回登場していただくのは、アナウンサーの上柳昌彦さん。クルマの運転中になんとなくラジオをつけたら流れて来たあの声、受験勉強に集中しようとしているのについ聴き込んでしまったあの声、聴き手にそっと寄り添う声を持つ“うえちゃん”、こと上柳昌彦さんがラジオの世界に入ったきっかけはアメリカン・マッスルカーでした。


根無草の浮遊感

「いやあ、この歳になってまさか実車を間近で見られるなんて、思ってなかったなあ」

1970年製ダッジ・チャレンジャーの前で満面の笑みを浮かべているのは、元ニッポン放送アナウンサー、上柳昌彦さん。現在もニッポン放送の早朝番組「上柳昌彦 あさぼらけ」のパーソナリティを務めている。ラジオは映像のない分、リスナーの想像力が働くメディアだ。それが語り部と聴き手の距離を近くしている。「上柳昌彦 あさぼらけ」が7年半も続いているのは、まるで昔からの知り合いだったような、温かい上柳さんの語り口によるものだろう。



実は私は彼と同じ大学サークルの出身で、いまでも交流が続いている。

大学で迎えた最初の夏休み、友人たちが次々と故郷へ帰る姿を見て彼が言ったことを覚えている。

「故郷がある人はいいなあ。ホーム・グラウンドがあって。オレはオヤジが転勤族だったからずっと転校、転校でね。故郷がないんだ。なんだか自分はふわふわと拠り所のない“根なし草”な気がするんだよね」

しかし私は彼のこの浮遊感がリスナーに受けているのだと思っている。根がない分、ふわっと自然に聴き手に寄り添うことができるのではないだろうか。


バニシング・ポイント

さて、ダッジ・チャレンジャーとの出会いに喜んでいるのは、上柳さんがラジオの世界に入るきっかけになったクルマからだ。

「高校時代に都内の名画座でアメリカン・ニューシネマのリバイバル上映があって、授業をさぼって観に行ったんです。『明日に向かって撃て!』、『イージー・ライダー』なんかにハマりました。そのなかに『バニシング・ポイント』があったんです。ダッジ・チャレンジャーがデンバーからサンフランシスコまで暴走するんですけど、黒人のDJが登場して“警察に負けるな!”、“オレたちのヒーローが走ってるぜ!”などと言いながら中継をするんです。すると、それを聴いたリスナーがシンパシーを感じて応援する。ラジオってカッコイイなあと思いました。僕がラジオに惹かれた最初のきっかけです」

DODGE CHALLENGER 1970年にデビューしたアメリカン・マッスルカー。撮影車両は、440キュービック・インチのV8エンジンを搭載し、3連装した2バレル・キャブレターを備えるシックス・パック。ボンネットにはシェイカーを備え、変速機は4MTだった。


確かに昔からクルマとラジオは親和性が高かった。アメリカの青春を描いた『アメリカン・グラフィティ』もラジオとクルマの合体映画だった。

「主人公が美女へのメッセージを伝えてもらうために、スタジオへ行くとウルフマン・ジャックがいましてね、“オレはウルフマン・ジャックじゃない”って言うんですけど、主人公が帰り際に振り向くとやはり本人で、ラブソング“オンリー・ユー”をかけてくれる。曲とともに夜が明ける。同じ時間を共有するラジオっていいなあと思いました」


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