2024.07.12

CARS

こういうオヤジたちはカッコいい! ロータス・エランとフェアレディ240ZGで趣味のヒストリックカー・レースを仲間たちと愉しむ 

佐藤さんの2台の愛機、ロータス・エラン26Rと日産フェアレディ240ZG。

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JCCAのヒストリックカー・レースの常連かつトップランカーで年間14レースを戦うという“フライング・ドクター”、佐藤 優さん。子供の頃夢見たレースの世界を趣味として思いっきり楽しむストイックな姿勢は、まさにサンデー・レーサーの鑑といえる。

これこそが“4輪のOn Any Sunday”だ

ブルース・ブラウン監督の『On Any Sunday(邦題:栄光のライダー)』という映画をご存知だろうか?

スティーブ・マックイーンをはじめとする、プロ、アマ問わず日曜のたびに全米でオートバイのレースを楽しむ人々を追ったドキュメンタリー映画で、1970年代の古き良きアメリカのモーターサイクル・シーンが描かれている快作である。中でもマックイーンたちが駆る3台のモトクロッサーが夕方の浜辺の上を踊るように走り回るシーンの美しさは今でも語り草だ。



レースの喧騒が鎮まり、夕暮れが迫りつつある筑波サーキットのパドック。戦いを終えたロータス・エラン26Rと日産フェアレディ240ZGを愛おしげに見つめる佐藤優さんの表情を見た時、これこそが“4輪のOn Any Sunday”だ、と素直に思った。

佐藤さんはJCCA(日本クラシックカー協会)のヒストリックカー・レースに長年参戦を続け、常に上位入賞を果たしている大ベテランのジェントルマン・レーサーだが、レースを始めたのは意外と遅く、39歳になってからだという。

「小学6年生の時、友達のおじさんがクルマ好きで、富士スピードウェイの第3回日本グランプリへ連れて行ってくれたんです。しかもその翌年も! それでクルマ好き、レーシングカー好きだったのがレースも好きになって、プロにはなれなくてもいつかは“金網の向こう側”に行きたいと思うようになりました」

しかしながら、その後医師になった佐藤さんがレースをするチャンスはなかなか訪れなかった。

「勤務医の頃は忙しく、金銭的にもレースができる状況ではなかったです。ようやく30歳になってカートを始めたって感じです」

そして37歳で独立開業し余裕ができたことで、佐藤さんは念願だったレースを始めようと決意する。

「当時5月に筑波で開催されていた“オールドナウ・カーフェスティバル”で親父さんたちが和気藹々とやっている姿を見て、ヒストリックカー・レースっていいなと。最初はBMW2002を探したんだけど、良い売り物に出会えなくて。段付きのアルファロメオ・ジュリアも良いなと思い、今も240ZGのサポートをお願いしているGARAGE GOTOの門を叩いてレースカーを作ってもらうことにしたんです」



でも話はここで終わらない。

「その前にまず、サーキットを走らなきゃと、EP 71系のトヨタ・スターレットを買いました。そしてYRS安田レーシングサービスに入れてもらい、バリバリ練習を始めました。ロガーもない時代だから1日スポーツ走行6本、合計120周とかね。でもすごく楽しかった。そして切替優太選手と組んで初めて耐久レースに出たら、ポールtoウィンで勝っちゃった! そこから勘違いが始まって今に続いています(笑)」

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