2024.09.19

LIFESTYLE

【後篇】エミー賞18部門獲得の『SHOGUN 将軍』真田広之が語る 「今から考えても無謀な人生最大のチャレンジでした」

写真=スエイシナオヨシ スタイリング=石川英治

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海外の映像作品において、日本の文化が間違った形で紹介されている。そんな現状を打破したいという思いが、ずっと真田の胸の内にはあったという。日本で大スターとしての揺るぎない地位を築いていた彼が、海外で勝負をかけることにしたきっかけとは? 【前後篇の後篇】

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【前篇から読む】「日本の文化を世界に伝えるために」
エミー賞18部門獲得の『SHOGUN 将軍』真田広之が語る

***

プロデューサーのタイトルを得たことで


「実は『ラスト サムライ』以降、日本を描いた海外の作品に携わる時は、僕が細部をチェックしたり、アドバイスをしたりしていたんです。それもすべてボランティアでやっていたことですが(笑)。ただ一俳優として言えることの限界は感じていましたし、西洋のクルーに押し切られたことも多々あります。ですので今回プロデューサーとして作品に参加できたことは非常に有難かったですね。プロデューサーというタイトルを得たことで、周りのスタッフに気を遣いながら、遠慮がちに直す必要もなく、間違っているものは間違っていると、はっきり言うことができた。僕が海外の現場で見て、学んできたことを、今回はしっかり反映することができたんです。今後、日本の文化を世界に発信していく際は、この作品のレベルを最低限のニュー・ノーマルにしていきたいし、これを布石にして、もっともっと先に行きたいと考えています」

またプロデューサーというタイトルを手に入れたことで、裏方の仕事も自分が選んだ日本のチームに安心して任せることができた。おかげでカメラの前ではあれこれ考える必要がなく、完璧にリラックスした無の状態で、虎永になり切ることができたという。それは本人にとって「ご褒美をもらったような、楽しい体験」でもあったそうだ。

最初はお互いに距離感を測っていた多国籍のスタッフや俳優たちもあっという間に打ち解け、それぞれの国の言葉を学びあうようになったという。通訳を介して喋っていた日本の若い俳優も、少しずつ自分の言葉でコミュニケートするようになり、チームとしての結束が自然に固まっていったと話す。

「言葉や文化、宗教の違いを乗り越えて、全員が一丸となって誰も見たことのない作品をつくり上げる。それはお互いに歩み寄りながら、学びあい、尊敬しあい、そしてひとつのゴールに向かっていくという、世界に向けた我々からのメッセージでもあります。平和な世界を築くというのは本作における重要なテーマでもあるので、そのあたりを作品をご覧になったみなさんに感じ取ってもらえると嬉しいですね」



人生最大のチャレンジ

1980年代から90年代にかけて、押しも押されもせぬ大スターとして、日本で揺るぎない地位を築いていた真田広之。そこから海外に飛び出し、世界で勝負をかけることにしたきっかけとは何だったのか。

「1999年から2000年に、蜷川幸雄さんが演出したロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによる『リア王』のイギリス公演に参加した経験が大きかったですね。今から考えても無謀な、人生最大のチャレンジだったように思います」

英語も今のように流暢に喋ることができなかった当時、何カ月間もイギリスの俳優たちと合宿のような生活を送り、自分のことを知らない目の肥えたお客さんの前で芝居を続けた。そんな未知の体験をしながら、違う文化を持った者同士が集まり、新しいものをつくり出すことに、次なる目標を見出したのだという。そこで受けたのが『ラスト サムライ』のオーディションである。

「昔は、外国人にサムライ映画なんかつくれる筈がない、と考えていましたので、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーでの経験がなければ多分、このオーディションも受けていなかったと思います。ただ出演が決まった後も、この作品で日本がどう描かれるのか、不安は残りました。そこでこれが最初で最後のハリウッド映画になってもいいから、現場で言うべきことは言おうと心に決めたんです。まさに懐刀を持参して、撮影に臨んだような状態でしたね」

だが、そんな熱意はスタッフにも伝わり、撮影が終了した後も、仕上げを手伝ってほしいと頼まれたという。結局、自腹で半年間ロサンゼルスに滞在することを決め、スタッフとともに毎週のスクリーニングに参加しながら、気になる点のチェックをしていったという。

「半年間の作業が終わった後、チームのスタッフから、お礼のディナーに招待されたんです。自分たちが映画づくりに関わり始めた頃の情熱を思い出させてくれたと言われ、思わず涙がこぼれそうになりました。その時、この業界において、東西の壁は取っ払えるんじゃないかと感じたんです。ただこのままお客さん扱いされていても何も始まらない。じゃあ思い切ってそこに飛び込んでしまおうと、2005年にロスに移ることを決めたんです」

それから約20年。これからは俳優としてだけでなく、機会があればプロデューサーとして、日本人の美意識や精神を伝えるような作品をつくっていきたいと話す。また日本の素晴らしい人材、とりわけ若い才能を世界に伝えていくことも、自身のミッションだと感じているそうだ。

「いろんな出来事が全部つながっていて、その結果、今の自分がここにいる。それはとても不思議な感じがします」という真田広之。実は子供の頃から家康に関する本を読み、その人生訓に多大な影響を受けてきたという。

「若い頃、アイドル的に持て囃された時期もありましたが、その時からフォーカスしていたのは40代、そして50代以降になってからの人生。20代、30代は人生の練習期間として捉えていたので、まったく焦ることなく、人生の本番を迎えるまでの、ステップとしてしか考えていませんでした。まさに家康が言うところの“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し いそぐべからず”です。そんな自分が今、この年で虎永=家康を演じることができたのは、まさに宿命だと感じています。長く続いた戦乱の世を終わらせ、平和な世界を築いた“将軍”の物語が、また誰かの心に響き、その人の人生の支えとなるかもしれない。この物語を世界に伝えたことが、僕から家康への恩返しなのかもしれませんね」

【前篇を読む】「日本の文化を世界に伝えるために」『SHOGUN 将軍』真田広之が語る 
久しぶりに帰国した真田広之を東京で撮影した写真をチェック!


■『SHOGUN 将軍』はディズニープラスの「スター」で独占配信中

※このインタビューは2024年2月に行われたものです。



文=永野正雄(ENGINE編集部) 

(ENGINE2024年5月号)

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