2024.09.23

CARS

アストン・マーティンF1がホンダに続き最高の戦力、エイドリアン・ニューウェイを獲得

アストン・マーティン・アラムコ・フォーミュラ・ワン・チームは、現地時間9月10日12時に、チーム・オーナーのローレンス・ストロール氏同席のもと、デザイナーのエイドリアン・ニューイ氏(日本ではスペル読みでニューウェイと表されることが多いが、実際の発音はニューイの方が近い)が同チームに加入し、2025年3月1日からマネージング・テクニカル・パートナーとしてシルバーストーンの本部で働き始めると、世界同時中継の会見を行った。

6月に行った工場訪問が決定打

今年の5月1日に長年在籍したレッドブルからの離脱を発表して以降、アストン・マーティンのほかにフェラーリやウィリアムズなど様々な移籍先が噂されてきたが、ストロール氏によると、ニューイ氏の心が決まったのは、6月に行ったファクトリーのプライベート・ツアーだったという。



私たちの目標をすぐに理解してくれた

「彼は、私たちがシルバーストーンに建設したもの、つまり私たちが集めた素晴らしいAMRテクノロジー・キャンパス、優秀なスタッフ、そして最新の風洞を見たとき、私たちが何を達成しようとしているのかをすぐに理解した。私たちは本気だし、彼も本気だ。エイドリアンは、私たちのハングリー精神と野心を共有し、このプロジェクトを信じ、アストン・マーティン・アラムコのF1ストーリーの次の章を書く手助けをしてくれるでしょう」

そしてこう続ける。

「2026年に向けてのテクニカル・ルールのリセット、ホンダのワークス・パワーユニットの統合、アラムコによる先進燃料、モータースポーツ界で最新の風洞など、エイドリアンがこの新たな役割で頭を働かせることはたくさんある」



チームの株式を取得

それにはニューイ氏もこのようにコメントしている。

「私はローレンスの情熱とコミットメントに大いに触発され、感銘を受けた。ローレンスは世界を打ち負かすチームを作ろうと決意している。彼はこのスポーツに積極的に取り組んでいる唯一のチーム・オーナーだ。彼のコミットメントは、シルバーストーンに新設されたAMRテクノロジー・キャンパスと風洞の開発にも表れている。ホンダやアラムコのような素晴らしいパートナーとともに、アストン・マーティンを世界選手権で優勝するチームにするために必要なインフラの重要な部分がすべて揃っており、私はその目標達成を支援することを非常に楽しみにしている」
.
この会見の席上で、ストロール氏は「パズルの最大の部分」とニューイ氏を評した。その証拠にニューイ氏が同チームの株式を取得し、長期間にわたってF1にフルタイムでコミットし、チームにリーダーシップと方向性を与える存在になることが任されている。



7年間でチャンピオン争いをし、勝つ

思えば2年前、ホンダとの提携を発表した直後にモナコGPでローレンス・ストロール氏にインタビューした時、彼は「ホンダ・エンジンはパズルの最後のピースだ」とした上で、こんなことを言っていた。

「これまで所有したすべてのビジネスで勝利してきた。F1で勝つことが私の人生で最も困難なことであるとしても、7年間でチャンピオン争いをし、勝つという目標をフォース・インディアを買った時に定めたんだ。そして残り3年となった時、この英国チームのために相応しいブランドは、アストン・マーティンしかないと思った。思い起こせばアストン・マーティンは、ちょっと前までレッドブルのスポンサーだったがね。この素晴らしい資産を手に入れた今、私は素晴らしいチームを作ろうと思っているんだ」

確かに当時、一部から「ホンダ・エンジン獲得で価値を高めたところで、チームを売却するつもりだ」といった話が、まことしやかに囁かれたりしていたが、実際に話をしてみたストロール氏からは、そうした「一時の道楽」とか「マネーゲーム」的なニュアンスは感じられなかった。それよりも非常にクールで頭の回転の速いビジネスマンというだけでなく、クルマ好き、F1好きとして本気でアストン・マーティンをトップチームに引き上げようという強い意志を感じたのは事実だ。だからこそF1界最高の頭脳を獲得できるチャンスを、彼は逃さなかったのだろう。



ル・マンにも絡むかも!?

一方で今振り返ってみると、ニューイ氏がアストン・マーティンに行くべき伏線は、いくつも用意されていた気がする。その1つが2016年に発表されたアストン・マーティンのハイパーカー、「ヴァルキリー」の存在だ。

実は2021年7月のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでヴァルキリーが公の場で初走行を披露した際、ステアリングを握っていたのはニューイ氏本人だった。既にその時点でアストン・マーティンとレッドブルとの提携は終わっていたのだが「レース・プログラムが中止になったのは残念だけど、本当にいいクルマに仕上がっているよ」と走行後にコメントを残しているように、彼がこのプロジェクトに格別な想いを持っていたのは、想像に難くない。

実際、2024年の7月のグッドウッドでレッドブルが、カーボンモノコックにコスワース製V12を積むという、ヴァルキリーと同じような内容を持つニューイのデザインによる「RB17」を発表(そのタイミングこそ、ニューイの離脱が予期せぬものであったことの証明でもある)したのは、彼がヴァルキリー・プロジェクトに何らかの未練を持っていた証拠でもあると思う。しかもアストン・マーティンは2023年に方針を転換し、2025年からWEC(世界耐久選手権)とル・マンに「ヴァルキリーLMH」で参戦する予定だ。今回の発表では言及がなかったが、ヴァルキリーにニューイが絡むことがあるのか? も、今後の注目ポイントと言えるだろう。



アストン・マーティンとホンダ、そしてニューイ

もう1つはニューイ氏のマネージャーを務めるエディ・ジョーダン氏の存在だ。すでに彼と直接的な関係がなくなっているとはいえ、アストン・マーティンF1チームの母体となったのは、1991年からF1への参入を開始したジョーダン・グランプリだ。そうした故事を掘り起こすとするならば、ジョーダンは1998年から無限ホンダ、2001年からはホンダ・ワークスのエンジン供給を受けていた経緯もある(そういう意味でいえば、2026年からフォードを使うレッドブルの前身はフォードのワークス格だったスチュワート・グランプリだ)。いずれも「こじつけ」の類ではあるものの、アストン・マーティンとホンダ、そしてニューイ氏が手を組むのは、そんなに違和感のないことかもしれない。

そして余談ながら、ニューイ氏もエントラントの一人として参加していた5月のモナコ・ヒストリックGPの会場で妙に印象に残った光景を、最後に書いておきたい。

このレースにニューイ氏は自身で所有する1969年型のロータス49Bで出場していたのだが、パドックで見かけた彼のヘルメットは、それまでのレッドブル・カラーから鮮やかなレインボー・カラーに変わっていた。一方でレーシングスーツの下に来ていたアンダーウェアはレッドブルのもの。「ああ、まだ5月末までの契約が残っているもんな……」と思いきや、彼が着ていたのは、なぜか胸にアストン・マーティンのロゴが入った2018年以前のウェアだったのだ。

「それって単に古いのを着ていただけでしょ?」と言われるかもしれないが、いくらヒストリックのイベントとはいえ、すでに契約の終わったスポンサーロゴが入ったウェアを着ているというのは稀なことだ。もしかしたら、その時点でニューイの心が決まっていたのかも……と思うのは、勘ぐりすぎだろうか?



文=藤原よしお、写真=藤原よしお、アストン・マーティン

(ENGINE WEBオリジナル)

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