2024.11.24

CARS

これこそ本物のドライバーズ・カーだ! メルセデス・ベンツEクラスとメルセデスAMG GTクーペに自動車ジャーナリストの渡辺慎太郎が試乗してその理由を語った!!

あらためて問う、Eクラスの存在意義とは何か?

全ての画像を見る
ある意味メルセデスとAMGの象徴ともいえるEクラスとGTクーペに乗ったモータージャーナリストの渡辺慎太郎は、20世紀末に端を発した迷走が、現行SクラスにおけるAMGとの差別化で、ようやく収まったと考察する。

advertisement


メルセデスの迷走

カール・ベンツによって「自動車」としての特許を取得した1886年を起源年とすると(ダイムラー・ベンツ社の創業は1926年)、メルセデス・ベンツは138年もの歴史を有する自動車メーカーということになる。そんな長きに及ぶ時の積み重ねにより、いまではそれなりの知名度とブランド・イメージを確立しているメルセデスには、確固たる哲学のもとに質実剛健なクルマをずっと作り続けてきたという印象を持たれているかもしれない。

日本仕様は4輪駆動のオールテレインを除くとセダンとステーションワゴンの設定があり、マイルド・ハイブリッドの2リッターガソリンとディーゼルのE200とE220d、E300という3つのパワートレインのほか、プラグイン・ハイブリッドのE350eが選択可能。ただしE350eはセダンのみ。

ところが実際には、1990年頃からメルセデスはフラフラし始める。モデルでいうと、EクラスのW124やSクラスのW126がモデルチェンジを果たした頃だ。Sクラスは巨漢となり(W140)、Eクラスはコスト削減丸出しとなる(W210)など、「おいおいメルセデスは大丈夫か」と誰もが危惧し始める。こうした変貌ぶりの背景には、1998年に発表されたクライスラーとの合弁があったのは間違いない。「世紀の大合弁」などとも言われたが、本当にうまくいくのだろうかという疑心暗鬼な世論が渦巻いた(そして事実上うまくいかなかった)。



メルセデスの迷走はその後もしばらく続く。巨漢のSクラスの後継モデルは一気にカジュアルになり(W220)、パッケージ優先だったデザイン哲学はスタイリング優先のCLSの誕生により封印される。CLSは「メルセデス・デザインの終焉」などと酷評されたりもしたものの予想を大きく上回る大ヒットとなり、結果的にその後は多くのメーカーが追従して“クーペ風”のセダンやSUVをせっせと作るようになった。

実はメルセデスは迷走のみならず変節の多いメーカーでもある。鳴り物入りで導入した技術(W211のブレーキ・バイ・ワイヤーなど)やサブ・ブランドのEQをとっとと引っ込めたり、BMWが導入を始めたときに「我々には必要ない」と言っていた後輪操舵をしれっと採用したり、この種の変節は枚挙に暇がない。

2024年春に上陸した、2代目にあたるAMG GTクーペ。現行メルセデスAMGの最上位車種として位置づけられている。

そんな中にあって唯一、死守してきたのが操縦性に対する考え方だった。「ステアリング・レスポンス」や「スポーティなハンドリング」といった言葉は頑ななまでに使わず、実際の味付けも正確性や安定性を重視したものに終始した。これにはBMWの存在があることに疑う余地はないのだけれど、先代のCクラスでついに開発コンセプトに堂々と「アジリティ」という言葉を使った。そこには、意地でもBMWの十八番である「スポーティ」は使うまいというメルセデスの気概のようなものが透けて見えてちょっと面白い。

この辺りから、メルセデスは全モデルを通してスタイリングや操縦性にスポーティなスパイスの積極的投与を開始する。顧客の年齢層を引き下げたいという切実な願いもあったのだろう。この施策が販売台数の向上にどれくらい寄与したのかはよくわからないが、市場の一部から「メルセデスの威厳が薄れた」との声が挙がっていたのは事実だった。

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

いますぐ登録

advertisement

PICK UP



RELATED

advertisement

advertisement

PICK UP

advertisement