2025.03.04

CARS

新車同然に仕立てた希少な2ドアGTのAE86レビンとファミリーバイク・ブームの彩ったスズキ蘭

クラシックカー&ヒストリックカーのイベント「ノスタルジック2デイズ」の目玉企画のひとつとなっている「選ばれし10台」。主催社が発行する『ノスタルジックヒーロー』と『ハチマルヒーロー』の両誌の公募によって選ばれた10台クルマ(今年はプラス1台のスクーター)が会場に展示された。第5弾はAE86型カローラ・レビンでも希少な2ドア・クーペ・モデルと、プラス1台で選出されたスクーターを紹介する。

1986年式 トヨタ・カローラ・レビン2ドアGT

言わずと知れたAE86型レビンである。レビンの名はカローラのスポーツ・タイプに用いられ、兄弟車のスプリンターはトレノの名が使われた。カローラ・シリーズは1983年のフルモデルチェンジした4代目でセダンと5ドア・リフトバックがFF(フロント・エンジン前輪駆動)に移行するが、2ドアおよび3ドアのスポーツ・モデルはFR(フロント・エンジン後輪駆動)を継続した。ちなみに、この4代目ベースのレビンとトレノの中でもAE86の型式名が用いられるのは1.6リッターのDOHCエンジンを積むモデルのみで、1.5リッターのSOHCエンジンを積むモデルの型式名はAE85となる。



リア・ブレーキがドラム式

AE86のグレードは2ドア、3ドアともに最上級が「GTアペックス」で共通だったが、1つ下のグレードは3ドアが「GTV」で、2ドアが「GT」となっていた。2ドアGTはほかのモデルとは異なり、リア・ブレーキがドラム式となっていた。このため、ジムカーナやダートラ、ラリーなどの競技用車両としてはサイドブレーキ・ターンがやりやすい2ドアGT、サーキット・レースのベース車としてはリア・ブレーキがディスク式かつ、空力特性に優れた3ドアが好まれた。

現オーナーは頭文字D世代のため、AE86といえば前期3ドアのトレノのみに注目していたという。社会人になったタイミングでAE86を買う決心をし、最初に見に行ったのがこのレビン。ボロボロのワンオーナー車であったこのレビンを買い、サーキット用に仕上げるつもりだったものが、亡くなった前オーナーが昭和から令和まで大事に所有し続けいたことをレストアの最中に知り、新車のように仕上げようと心変わりしたという。フロント・グリルやライト類、ステッカー類などは新品部品に交換。純正ステアリングと純正13インチ・ホイールはかなり苦戦して手に入れたとのこと。今も毎日のように乗り続け、月間走行距離は2500kmにもなるという。



1983年式 スズキ蘭スーパーデラックス

1976年にホンダが「ロードバル」という原付を発売するやいなや、世の中にファミリーバイク・ブームが訪れる。ロードパルは女性をターゲットにしていたものの、自転車のように跨いで乗るとい乗車姿勢のためにスカートでは乗りづらいという側面があった。そうしたなか、ヤマハは1977年に足をそろえて乗れるステップスルー・タイプの「パッソル」を投入した。一方で安定して乗れるということで、跨ぐタイプも一定の人気があり、同時代にヤマハでは「キャロット」、「マリック」、「リリック」。スズキは「ユーディ」、「ユーディミニ」をリリースしている。

ステップスルー・スクーターで出遅れたホンダは1980年に「タクト」を投入。タクトはたちまちヒット商品となる。さらに出遅れてしまったスズキは1981年に同社初のステップスルー・スクーターとなる「ジェンマ」を投入する。ジェンマは一定の支持を受けるが、より女性客をターゲットとしたモデルとして1983年に投入されたのがこの「蘭」である。「蘭」のテレビCMに採用されたのは元キャンディーズの伊藤蘭さんで、CMコピーでありCMソングでもある「蘭 咲きました」は多くの人の耳に残っているフレーズだろう。

オーナーさんはずっと変わらない当時のままの蘭がお気に入りで、前後のカゴのおかげでお買い物もたくさんできてしまうし、風防があれば虫も気にせず乗れるという。また、燃料タンクの残量を目で見て確認できるというのは、今ではあまりないこと。彼のクルマに蘭と彼のホワイトダックスを積んで出かけるようになってからは運転にも自信が付いたとのこと。2ストローク・エンジンはちょっとメンテナンスが大変だけど、相談しながら乗って行けたらいいなと、語っている。



文=諸星陽一

(ENGINE WEBオリジナル)

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