2025.06.08

LIFESTYLE

生誕140年、破格の日本画家・川端龍子の異次元の美意識がつまった自邸とアトリエが都内で見られる

2025年、生誕140年を迎える日本画の革命児・川端龍子。日本画に新風を巻き起こしたその足跡は、今も東京都内に現存する自邸とアトリエで体感できる。作品だけではわからない、龍子の“住まいそのものが芸術”だった異次元空間を訪ねた。

東京都大田区南馬込に

近代日本画の巨匠である川端龍子(1885-1966・かわばたりゅうし)。日本画の常識を覆す作風は、近年の展覧会に「超ド級」とサブタイトルが付くほどの、規格外の画家だ。現代アーティストへの影響も大きく、近年はさらに評価が高まっている。

そんな龍子のアトリエと自邸が現存し、見学できることはあまり知られていない。実はこれらの建物は、作品同様に異次元の美意識で作られたもの。川端龍子が桁違いのアーティストであることが、よく分かる。 

龍子のアトリエと自邸があるのは、東京大田区の南馬込。自ら資金を投じて建てた美術館、「龍子記念館」の隣の、「龍子公園」内に建っている。かつての住まいなどをそのまま公園にしたもので、敷地の広さはおよそ800坪。美術館の来館者は、ガイドの案内のもと、日に何回か建物を外部から見学できる仕組みになっている。 

龍子公園のアプローチ。左手の茂みの辺りに爆弾が落ち、建っていた旧邸が焼失したため、今の場所に新たに家を建てた。

幅数メートルの大作のための設計

川端龍子作品の特徴のひとつが、大きなサイズだ。それまでの日本画は、床の間で飾られる大きさが一般的だった。ところが龍子の作品は、大きな会場で飾られることを意識したものが大半。幅が数mあるものも少なくない。代表作である《香炉峰》(1939)は、横幅7.2メートルの大作である。半透明に描かれた戦闘機の向こうに、香炉峰が透けて見える大胆な作品だ。自身の美術館を建てたのも、こうした大作を飾るためでもある。 

《香炉峰》1939年、大田区立龍子記念館蔵 龍子の代表作のひとつ。幅7.2mを超える大作。ちなみに龍子記念館は、撮影OK、SNSにアップもOKと、来館者に嬉しい対応をしている。
《香炉峰》1939年、大田区立龍子記念館蔵

龍子が馬込にアトリエのある家を建てたのは、1920年のこと。かつてこの地で親戚の家に寄寓していたことと、『国民新聞』を主宰する徳富蘇峰邸があり、打ち合わせに便利だった。駆け出しの頃、同紙の社員として挿絵を描いていた龍子。蘇峰との関係は長く続き、やがて馬込は関東大震災で家を失った文人たちが多く移り住んで、文士村と呼ばれるようになる。  

そんな龍子が、敷地内にアトリエを建てたのは1938年。60畳の広さがある柱の無い大空間は、大きな作品を描くためのだ。自らが設計し、宮大工が普請を請け負った。天井高は4mほど。南と西に配された大きな窓のおかげで、外光を存分に採り込めるうえ、整えられた庭を眺めても気持ちが良い。高さ2mを超える大きなガラスは、腕のある職人が仕上げた。それにしても、このアトリエ。細部まで凝っており、アトリエというより旅館と言った雰囲気の建物だ。  

龍子の設計で建てられたアトリエ。豪華で、どこか日本旅館のよう。

朝から光がふんだんに入るアトリエの南側。天井高は4mほど。天井の意匠は、龍をイメージしたもの。照明は戦前のもので、今も使える状態にある。

龍子はこのアトリエで、朝9時から夜の9時まで絵筆をとり続けた。おかげで多作である。戦後は「明るく幸せな雰囲気の作品が多いのも、この明るいアトリエで描かれたことと関係している」と、龍子記念館の木村拓也副館長は話す。ちなみに天井には、当時の民家では珍しい、凝った意匠の照明が据え付けられており、日が沈んでからも灯の下で作品を描いた。 

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