2026.03.08

CARS

歴史の証人を発見! 専門店ブースに並んだかつてのいすゞワークスの「ベレット」のスペア・カー!【ノスタルジック2デイズ2026】

ルーフ・サイドのペイントや燃料タンクなどからこのクルマの歴史を辿ってみると……。

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きれいにレストアされた「いすゞ117クーペ」などが展示されていた、ISUZU SPORTS(イスズスポーツ)のブース裏手に、ひっそりと展示されていた1台の「ベレット」。このクルマは、まさに歴史の証人とも言える1台であった。

60年前、第3回日本グランプリで準備されていたスペア・カー!


日本のモータースポーツが本格的になってきたのは1963年。鈴鹿サーキットがオープンし、第1回日本グランプリが開催された。いすゞは第1回日本グランプリに、当時国産化された「ヒルマン・ミンクス」、「ベレル」を出走させている。続く1964年の第2回日本グランプリには、ツーリングカー5クラスに「ベレット」10台を投入するなど、力を入れていた。

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1965年に予定されていた第3回日本グランプリは中止となり、翌1966年、オープンしたばかりの富士スピードウェイで開催された。このレースで悲劇が起きる。永井賢一選手がドライブしていた「ベレットGT」が30度バンクでコースアウトし、彼は帰らぬ人となった。富士スピードウェイ初の死亡事故であった。



ISUZU SPORTSのブース裏手に置かれていたベレットは、まさにこのときワークス・チームがスペア・カーとして使用したモデルだという。この個体は、いすゞ社内に保管(というほど良い状態ではなかっただろう)されていたものを、ISUZU SPORTSが引き取って倉庫(一時期は野外)に置いていたのだという。そのままにしておくのも惜しいため、今回の機会に思い切って公開したとのことだ。

ISUZU SPORTSの担当者は当時のことを知っている年齢ではなかったため、当時の事情をよく知る人物に聞くべきだろうということで、いすゞのワークスドライバーであった米村太刀夫氏に、イベント終了後、電話で取材した。米村氏は筆者が所属する日本自動車ジャーナリスト協会の元会長であり、個人的にもときどきお話させていただいている方である。

米村氏は、永井選手が亡くなった第3回日本グランプリの同じレースに「ベレットを」駆り、プライベーターとして出場している。このレースでは書類の関係で最後尾スタートとなった米村氏だが、ゴール時には4位にまで順位を上げている。



米村氏は今回のノスタルジック2デイズ開催前に、ISUZU SPORTSに呼ばれて「ベレット」の確認をしている。さらに横浜会場にも足を運び、2度目の実車確認もしたという。私は率直に、展示されたマシンが当時のワークス・マシンのスペア・カーである可能性についてたずねたところ、米村氏は次のように答えた。



「私も確認しています。あのベレットは、おそらくワークス・カーで間違いないでしょう。何より違うのがガソリン・タンクです。トランクに搭載されていたタンクは90リットルの容量だと思いますが、あのサイズのタンクを積んでいるのは、ワークス・カーしかないはずです」

米村氏が第3回日本グランプリに出場した際はプライベーターであったが、その後、ワークス・ドライバーに抜擢されている。つまり米村氏は、プライベーターの「ベレット」とワークス・カーの「ベレットGT」の両方を知っている人物なのだ。



そこでワークス・カーは何が違うのかを聞いたところ、衝撃的な証言を得られた。

「ワークス・カーはラップタイムで2秒くらい速かったと記憶しています。ベレットのエンジンはG型というのですが、ワークス・カーに搭載されていたのは……」

そこまで言って一瞬言葉が詰まったが、米村氏は続けた。



「もう時効でしょう。ワークス・カーに搭載されたエンジンは“1B”、1のブラボーという型式のエンジンです」

実は米村氏はアマチュア無線の世界でも有名な方で、BをGなどと聞き違えず、より正確に伝えるために「ブラボー」という単語を使ったのだ。

「ボアやストロークなどはG型と同じなので排気量は同一ですが、ブロックもコンロッドもクランクシャフトも違うんですよ。具体的に分かりやすい部分では、コンロッドのビッグエンド側が細く(薄く)なっている。そうすることでベアリング部分を広げられるので、メタルの幅を広げられる。そうして耐久性を向上させていたんですね。コンロッド自体にも穴が開けられていたのですが、G型エンジンにはそういう加工はなかった」

やはりストックのG型エンジンは耐久性が低かったのでしょうか?

「プライベーターはよくエンジンが壊れましたね。それは僕だけでなく、ほかのプライベーターの人もそうでした。いすゞは当時からディーゼル・エンジンもやっていましたし、耐久性や高トルクエンジンに対する対処などの知見があったのでしょう。B型エンジンというのは試作用のエンジンで、世の中には出ていない。でもヘッドはG型と同じもの。使っていたウェーバーのキャブレターも、そのままでした」

とのことだった。

この個体がスペア・カーである、つまりメインのレーシング・カーではないと考えられる根拠は、ルーフ・サイド部分にある。



この部分にはドライバーの名前が示されているはずなのだが、何度も消して書き直した痕跡があるのだ。メインのレーシング・カーが使えなくなったとき、スペア・カーに名前を入れてレースに出場したことの証しなのである。



さて、この「ベレット」の牽引車として展示されていたトラックにも触れておこう。これは「ワスプ」という名の小型トラックだ。



クラス的には日産の「サニー・トラック」程度のサイズで、エンジン排気量は1.3リットルもしくは1.6リットルだという。



いすゞというと中型トラックや大型トラックを想像するが、かつてはこうした小型トラックも製造していた。インパネなどは「ベレット」と共通している部分があるのが面白い。



こちらの個体はリーフ・スプリングが4枚採用されているが、当時はより荷物を搭載できるように枚数を増やすことも多かったとのこと。



小さなボディながらもホイールは6穴が採用されており、ハブ径が大きいことが見て取れる。「ワスプ」よりも大きなトラックの部品を流用した設計であることが予想されるが、こちらもやはり、プロが使うものに求められる耐久性を追求した結果なのだろう。

文と写真=諸星陽一

(ENGINE Webオリジナル)

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