2026.04.13

CARS

これぞまさに歴史の証人たち! 超希少な英国のレーシング・マシンたち4台が幕張メッセに集結!【オートモビルカウンシル2026】

オートモビルカウンシル2026でもっともインパクトがあったのはこのワークス・カー4台!

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11回目の開催となったオートモビルカウンシル。今年も、過去、現在、未来を貫く魅力溢れるクルマたちが披露され、ここでしか観ることができない光景やさまざまな人生の愉しみ方が提案された。

ル・マンやニュルを走った、歴戦の強者たち!


販売車両だけではなく、歴史的価値がハンパないクルマも多数展示されたが、なかでも白眉だったのが貴重なクラシック・カーの販売を手がけていることで知られるスペシャル・ショップ、コーギーズによる“ワークス・スプライト”の展示だ。

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なんとオースチン・ヒーレー・スプライトのワークス・カーを4台並べるというブースを展開。この一角だけ英国のモーターショーのような違うイベントを開催しているのでは? と思わせるような特別な空気感が満ちていた。

1965年のル・マンを戦った#48は最高速236km/hをマーク!


この貴重な4台のワークス・スプライトを旧い順に説明していこう。ゼッケン#48号車は1965年型オースチン・ヒーレー・ワークス・ル・マン・スプライト ・プロトタイプで、シャシー・ナンバーがHAN8-R65-35、イギリスでの車両登録番号がENX416C、BMCコンペティション・ドライサンプ・エンジン・ナンバーがXSP24265となる。



オースチン・ヒーレー・ワークスは、1964年から生産がスタートしたヒーレー・スプライトMK-IIIのシャシーに空力を追求した軽量アルミ・ボディを架装した新型プロトタイプ・マシンを擁し、1965年のル・マン24時間レースに参戦した。

BMCワークスのミニ・クーパーを駆り、ラリー・モンテカルロ等で大活躍した北欧の名手ラウノ・アルトーネンと、ヒーレー・ワークスのクライヴ・ベイカーがステアリングを握ったゼッケン#48号車は、1965年のル・マン24時間レースにおいてスタートから順調に周回を重ね、サルト・サーキットにあるミュルサンヌ・コーナーでBMCワークスのMGBを凌ぐ最高速度236km/hを記録。



小排気量クラスのライバルであるトライアンフ・スピットファイアとの闘いも征し、そのままフィニッシュを迎えると思われた。しかし、22時間を過ぎた時点でクラス・トップを走行中にディストリビューターのトラブルが発生。フィニッシュ直前にリタイアするという残念な結果に終わった。



ブースに設置されたパーテーションに1965年のル・マン24時間レースにおいて不運なワークス・スプライトとなったゼッケン#48号車が快走しているときの写真が大きく掲示されていたので、コーギーズの鈴木代表に解説してもらった。昼間はヘッドライトの部分に段ボールのようなモノを貼ってカバーし、夜になると剥がして走行していたそうで、貼ったり剥がしたりしているうちに塗装がペリッとテープ側に付いてしまい、ヘッドライトの周囲からオリジナル色のピスタチオ・グリーンが見えるようになっているという、なんとも微笑ましいエピソードも聞くことができた。

クラス優勝&総合12位! ル・マンを走りきった#49


ゼッケン#49号車も1965年のル・マン24時間レースにヒーレー・ワークスが投入した個体で、ポルシェ910やフォードGT40をスポーツカー選手権でドライブし、F1にも参戦したポール・ホーキンスと、ミニ・クーパーSを駆り、ブリティッシュ・サルーン・カー選手権で活躍したクーパー・ワークスのジョン・ローズがステアリングを握った。こちらはシャシー・ナンバーがHAN8-R65-52、イギリスでの車両登録番号がENX415C、BMCコンペティション・ドライサンプ・エンジン・ナンバーがXSP24266となる。



1965年のル・マン24時間レースでは、マイナートラブルを抱えながらも最後まで走り切り、総合12位でチェッカーを受けた。総走行距離は3726.430kmで、平均時速は155.268km/h。1,151-1,300ccクラス優勝、性能指数部門で7位、エネルギー指数部門では3位という見事な戦績であった。



このゼッケン#49号車は鈴木代表が2001年に購入したもので、その前年に別のオーナーが購入したゼッケン#48号車と同じボディ・カラーとなるオリジナル色のピスタチオ・グリーンに変更するべく、フルレストアを敢行。当時の姿に蘇らせたのだという。



エンジンはウェットサンプになっていたので、これもコーギーズが専用カムを製作し、ドライサンプに戻している。

ゼッケン#49号車に積まれているBMCコンペティション・ドライサンプ・エンジンはビッグバルブで、ヒーター・バルブが埋められている仕様となる。XSP専用のAEG305と呼ばれるAシリーズ・エンジン用スペシャル・シリンダーヘッドを採用している点も特筆すべきポイントだ。トランスミッションはMG B用のケースを使い、中身はヒーレー・ワークス謹製となっている。



現車を駆り、鈴木代表は2002年にスタートしたル・マン・クラシックの第1回大会に参戦。2003年のヒストリック・オートモービル・フェスティバルで走ったのを最後に眠らせていたらしいが、オートモビルカウンシル2026に向けて作業し、開催日の1週間前になんとか完成したそうだ。

鈴木代表によると、ゼッケン#48号車とゼッケン#49号車は2台ともル・マン24時間レース走行直前までピスタチオ・グリーンだったそうで、車検を担当する検査員の“まぶし過ぎる”との判断で、急遽ブリティッシュグリーンに塗装したのだという。そのため、既述したようにゼッケン#48号車のヘッドライト周りのペイントが剥がれた写真が存在しているのだ。

大西洋を渡った#67は、太平洋も渡って日本へ


ゼッケン#67号車は1966年型オースチン・ヒーレー・ワークス・ル・マン・スプライト・プロトタイプで、シャシー・ナンバーがHAN8-R-202、BMCコンペティション・ドライサンプ・エンジン・ナンバーがXSP26041となる。



このクルマは1966年のセブリング12時間レースに向け、大西洋を渡った3台のワークス・スプライトのうちの1台で、ルーフ後部にベントが付かない前年のボディであったこと、イギリスでの車両登録番号を持たなかったことなどによってレースにエントリーすることなく、走ることなくその役目を終えてしまった。



実戦はHNX455DとHNX456Dという2台に託され、セブリング12時間レースを戦った2台は、その後ル・マンに出場するためイギリスに戻ったが、このHAN8-R-202はフィラデルフィアでBMCのインポーターを営むフレッド・ロイストンに引き取られた。2020年に鈴木代表が購入し、現在に至っている。

タルガ・フローリオとニュルブルクリンクを走った#44


ゼッケン#44号車は1967年型オースチン・ヒーレー・ワークス・タルガ・フローリオ・スプライト・プロトタイプ“TFR 5”で、シャシー・ナンバーがHAN9-R-235、イギリスでの車両登録番号がLWD959E、エンジン・ナンバーがXSP29073となる。



ヒーレー・ワークスは1965年から1968年にかけて風洞施設で空力実験を積み重ね、10台のプロトタイプ・ボディを製作。セブリング12時間レースおよびル・マン24時間レース用ボディに加え、 1967年にはイタリアでのタルガ・フローリオ山岳レースに向けたワークス・スプライト用ボディも完成させた。

LWD959Eは、1967年のタルガ・フローリオを出走したワークス・タルガ・フローリオ・プロトタイプで、TFR(タルガ・フローリオ レーシング)-5と呼ばれている。ステアリングを握ったのは、ラウノ・アルトーネンとクライヴ・ベイカーだ。



シチリア島に送られた翌年にクロスフロー・シリンダーヘッドにフューエル・インジェクションを組み合わせた新設計エンジン(XSP306314)に換装され、セブリング12時間レースやニュルブルクリンク1000kmレースにヒーレー・ワークスとして参戦した。現在貼られているゼッケン#44は、ニュルブルクリンク1000kmレース出走時のナンバーだ。

ひときわレーシーな雰囲気を楽しませてくれたまさに歴史の証人である4台のワークス・スプライト。今後もたびたび披露されることを願ってやまない。

文と写真=高桑秀典 編集=上田純一郎

(ENGINE Webオリジナル)

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