いよいよ原寸大モデルによる1対1の対決の時がやってきた。様々な要件に合わせた修正を加えた後、最後の決定が下される。
原寸大クレイ・モデルづくりが始まると、あとは二人のデザイナーの一対一の対決となる。武蔵対小次郎、もしくはプロレスのジャイアント馬場対アントニオ猪木の勝負みたいなものである。とにかく、どちらのデザイナーも歴史に残る世界で最も有名なスポーツカーをデザインしたいというただそれだけの為に神経をすり減らし、ストレスとプレッシャーに押し潰されそうになりながら日々を過ごし、押し寄せるあらゆる設計要件と戦いながらデザインをリファインしてゆく。
初めてビューイング・ヤードに引っ張り出された2台の991プロポーザルをマウアー部長をはじめとす るほぼ全員のエクステリア・デザイナー、モデラーと一緒に様々な角度から評価検討する。時には離れて、時には近づいて。この時点ではまだ 3分の1のスケール・モデルを膨らませただけなので、スタイリングを完成させるために、いろいろとプロポーションを調整する必要がある。
ひとことで3倍にすると言っても、1mmなら3mmになるだけだが、10mmは30mmになってしまう。スケール・モデルでは十分に大きかったヘッドライトが、原寸大にするとどうも小さく見えてしまったり、フロント・オーバーハングの長さの調整が必要だったり、あるいは反対にリアライトがやたら大きく見えてしまうこともある。部長を中心に問題点を洗い出し、ここからテープ・セッションが始まる。黒い様々な幅のフレキシブルな粘着テープを使って、例えばヘッドライトを一回り大きくしてみたり、サイドウインドウ・グラフィックを調整してみたり。テープであたかもスケッチする様に実際のモデルに貼り付けて、プロポーションを見ていくのだ。
特に911のベルトライン(サイド・ウインドウとボディの境界線)は余りウェッジ・シェイプになって もいけないし、かと言って後傾していてもいけない。まっすぐ過ぎてもカーブし過ぎていても911に見えないのだ。何度も黒テープを貼ったり剥がしたりしながら検討する。そして様々な角度から写真を撮った後、原寸大モデルはスタジオに戻され、貼られたテープの記録がちゃんと残るように、ナイフで切り込みがつけられる。最後にシルバーのフィルムが剥がされて、最初のセッションは終わり。これを何度も繰り返して、徐々に開発が進んで行く。
原寸大モデルに移行してからは、デザイナーとスタジオ・エンジニアとの共同作業が重要になってくる。スタジオ・エンジニアとはデザイン部に所属するエンジニアのことで、他の部署との窓口になってくれている。デザイナーたちの要求を理解し、先鋒となって他部署と戦ってくれる重要なチーム・メンバーである。
彼らから重要なハード・ポイントや設計要件、法規関係などのブリーフィングがある。ハード・ポイントとは設計上無視出来ない様々な座標のことで、ボンネットの高さや屋根の高さ、ボディ断面の厚さなど、すべてカバーしなければならない数字があり、やみくもに屋根を低くしたり、ボディ断面をスリムにしたりすることは出来ない。
法規関係とは国によって定められている数々の安全要件のことで、意外と知られていないが、特にクルマのフロント部分については沢山の安全基準によってがんじがらめに縛られているといっても過言ではない。ノーズの丸さ、シ ャット・ラインの位置、ヘッドライトや補助ライトの高さ、バンパーの高さや幅など挙げればキリが無い。国によっても微妙に違うので、全世界でクルマを販売しようとすると大変である。
スタジオ・エンジニアとアイデアを出し合いながら案件を一つずつ潰していく。もし解決方法が部品の値段や製造コストにかかわるようなら、役員会の議題の一つとして提案する。もし法規や安全基準によってスタイリング上の要望が満たせない場合、私たちデザイナーは譲歩という解決方法を迫られる。いくら地面すれすれにヘッドランプをレイアウトしたくても、法規上、地上から何mmと決められている限りは従来の方法では対処出来ない。
デザイナーの本質は問題解決能力である。そして、こうした要件や法規が新しいアイデアの出発点になったりもするのだ。
次に重要なのが空気力学である。クルマの燃費、走行安定性を考えた時、空力は量産車、ましてやスポーツカーにおいては最重要課題のひとつだ。クルマのデザインは直接空力に影響する。スケール・モデルの段階から風洞に持ち込んでテストする。もちろん、原寸大モデルになってからも幾度もテストを繰り返して最適化していく。すなわち、スタイリングと空力の両部門が譲歩できるぎりぎりの場所を探す。デザイナーもモデラーも風洞に張り付いて、空力エンジニアと一緒に問題がありそうな部分を最適化していく。それこそ粘土を盛っては計測し、削っては計測しといった作業を繰り返す。
ポルシェをポルシェたらしめる要素の一つにフライラインがある。自動車を横から見た時、フロント・ウインドウから屋根そしてリア・ウインドウに繋がるなだらかなラインのことだ。911にルーツを持つこのラインは、ポルシェがつくるすべてのモデルにとって重要な意味を持つ。
しかし、空力的見地からみると、911のフライラインは決して最適解とは言えないのである。前方から 受けた風はフロント・ウインドウに当たり、一気に屋根に駆け上る。そして屋根を伝い後方に流れていくわけだが、911のルーフ・ラインは急激に下がっているので、空気のボディからの剥離が起こる。その結果、リア・タイヤに十分なダウンフォースがかからないのだ。
911のような後輪駆動車にとって、リアのダウンフォースの量はハンドリングにかかわる重大事だ。そこで考え出されたのがアダプティブ・スポイラーである。普段のシルエットを犠牲にすることなく、要求されるダウンフォースを得る、まさに美と機能を両立させた解決方法と言えるだろう。
991型の開発目標の一つに空力、特にダウンフォースの大幅な向上があった。原寸大化された2台のモデ ルとも、そのスポイラーの新解釈をスタイリング・テーマとして打ち出していた。
そうやって日々開発を続ける2台の原寸大モデルは、時が過ぎる毎にその様子を変えて行き、数回のスタ イリング・レヴューを経て最終プレゼンテーションに向けて準備が進んでいく。ダイノック・フィルムと呼ばれる薄いカラー・フィルムを貼っていたモデルは、最終プレゼンテーションに向けて塗装される。プライマーと呼ばれる下地を塗った後、シルバーに塗装され、さらにクリアコートがかけられて、本物のクルマと見分けが付かないくらい美しく仕上げられて最終プレゼンを待つ。
ここに至るまで楽しくも辛い日々があった。私にとっての初めてのポルシェとして伝説のスポーツカーである911の最終プロポーザル・モデルを作れた歓び。その一方で、ふたつの原寸大モデルを外に出した時、自分のものがカッコ悪く見えて、いったい何が違うのかと思い悩んだ日もあった。思い描いていたものがカタチにできず、ストレスのあまり出社したくない日もあった。今となってはそんな時間がどのくらい続いたのか、ほとんど思い出せない。1年、あるいはもっと長かっただろうか。
最終的に私のプロポーザルは勝ち残れなかった。マウアー部長の「難しい判断だった」という言葉も虚しく響いた。最終プレゼンの後、チームのモデラーたちの慰労会を開いた。みんな本当に頑張ってくれた。力の限り努力した。でもこれが、この業界の現実である。そしてカー・デザイナーとして仕事を続ける限り、このような日々はまだまだ続くのだ。
文とスケッチ=山下周一(ポルシェA.G.デザイナー)
(ENGINE2018年10月号)
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