2020.06.13

CARS

「ポルシェをデザインする仕事」第7回/山下周一 (スタイル・ポルシェ・デザイナー) 独占手記

2004年に発売された第2世代SLKのスケッチ。当時のスケッチではなく、新しく描いたものだ。発売時にはもうすでにダイムラーを離れていたので、実車を初めて目にしたのは、たまたま訪れていたシュトゥットガルトの街中でのことだった。その時のちょっとした興奮を今でも覚えている。

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今はエクステリア中心の山下氏だが、インテリアをデザインしたこともある。メルセデス・ベンツ在籍時に手がけた2代目SLKのインテリアはそのひとつだ。


第7回「インテリア・デザインの話。」


2018年の夏は非常に暑かった。日本の異常な暑さも毎日のように伝わってきたが、ドイツでもそれに負 けない程の暑い日が続いた。ドイツで気温が30度を超える日は珍しいが、この8月にはそんな日が1週間も続いた。こちらでエアコンの付いている家はほとんどなく、我が家も然り。あんまり暑いので辛うじて持っていた扇風機をフル稼働させ、一人の時は全裸で過ごしていたほどだ。


暑いと車の中も大変である。いくらエアコンが効いていてもシートの特に太ももの下は汗でジトジトしてくる。特に革張りのシートは素足だと革が張り付いてしまう。昔はよく手のひらを太ももの下に入れて片手ハンドルで運転したものだが、最近のポルシェにはシートにも送風機能が付いて(オプションですが)背中や太ももの下に心地よい風を送ってくれるようになり快適そのものである。


さて、今回はインテリアのお話を。自動車のデザインには大きく分けて3つの部門がある。エクステリア・デザイン、インテリア・デザインとカラー&トリム・デザインである。エクステリアは車の外観を担当し、インテリアは車の内装を担当する。カラー&トリムとは自動車の新しい外装色を考えたり内装用の様々な材質や仕上げを提案する部門である。


かつてメルセデス・ベンツに在籍中、アドバンス・デザインセンター日本とドイツのスタジオのエクスチェンジ・プログラムがあり、私もそれを利用してドイツに1998年から約2年間滞在する機会を得た。ベンツのデザイン・スタジオはシンデルフィンゲンというシュトゥットガルトから車で20分程の所にある組み立て工場の一角にあり、当時完成したばかりだった。


イタリア出身の有名な建築家レンゾ・ピアノによって デザインされた建物は上から見ると手の平を広げたような形をしており、スタジオもそれぞれフィンガー1、フィンガー2などと呼ばれていた。当時はフィンガー1が先行開発、フィンガー2がA、Cクラス等の小型車、フィンガー3がE、Sクラス等の中型並びに大型車、フィンガー4がSLをはじめとするスポーツカー、フィンガー5が商用車という仕分けになっていた。私が配属されたのはフィンガー4、スポーツカーのスタジオである。20年前のメルセデス・ベンツ・デザインはまだエクステリア及びインテリアの区分けがなくデザイナーはどちらのプロジェクトに も自由に参加することができた。


第2世代SLKのインテリア


私はちょうど始まったばかりだった第2世代SLKプロジェクトに参加した。ちなみに大成功となった初 代SLKをデザインしたのは、他でもない現在ポルシェでデザイン部長並びにVWグループを統括するミヒャエル・マウアーその人である。


当初参加したエクステリアでは残念ながら原寸大モデル移行の時点で敗退してしまい、それならばとインテリアの方に参加した。エクステリア・デザイン・ウイナーとなったのは現在のメルセデス・ベンツ・デザイン取締役のゴードン・ワグナーである。インテリアに参加したデザイナーは7名。インテリアを専門とするデザイナーもいれば、私のようにエクステリア、インテリアに関係なく参加するデザイナーもいた。何度かのレビューののち選ばれた3案はすぐさま原寸大モデルに移行することになった。幸運にも私の案もモデルに移行することが許された。


昨今、コンピューター上で製作されたインテリア・プロポーザルは即座にミリング・マシーンによって自動で切削されるようになり、簡易化されたモデリング作業ではあるが、98年当時はまだまだ人の手によって作られる部分が多く、それこそ、ああだこうだとモデラーと相談しながら作っていた。


2シーター・スポーツカーの場合、制作される原寸大モデルは屋根のないコックピット、ダッシュボード、左右ドアとなる。インテリア・モデルは座った状態で意匠、機能を確認する必要があるため通常シートは現物を流用しシートのプロポーザルは別に作られる。シート・デザインはその形状はもちろん、 ステッチの位置や種類、グラフィックスまでクレイモデル上に丁寧に再現される。ステッチの種類といえば初代アウディTTのシート・オプションにあった野球グローブをモチーフにしたステッチ・アイデアは素晴らしかった!


シートに関してもう一つ。メルセデス・ベンツでシートをデザインしていた時、頻繁にやってくるエンジニアたちの一人から、できればこのステッチを変更出来ないかと言われたことを覚えている。そのシートのプロポーザルには背もたれ部分の真ん中辺りに幅10cmほどのラインが5本程入っていた。そのラインを3本に減らせないかというのだ。何でも5本となると使う糸の量が増えてコストアップに繋がるらしい。うーん、それでは検討してみますとしか言えなかった。複雑でシビアな量産車デザインの一端を見た様な気がした。

テーマはジェット戦闘機

私がSLKのインテリア・デザインのテーマとしたのはジェット戦闘機。インテリア・スタイリングに於いて視覚的に最初に目に飛び込んでくるエア・ベントをもっと積極的にスタイリングのテーマとして利用できないかと考えた。


ダッシュボードには戦闘機を前から見た時のエンジンのエア・インテークの形状を模したエア・ベントを据え、そこから左右に伸びる翼とその翼端にぶら下がる恰好になる2つのエア・ベントを、翼断面並びにインテークの形状に注意しながらスタイリングした。センター・コンソールは戦闘機のコックピットを意識した精密機器をイメージしてデザインした。出来るだけシンプルな形状なボタンを配列する。インストゥルメント・パネルは、2つのシリンダーを斜めにカットし、なおかつ少し回転させてサイドから も魅力的に見えるように表現した。


幸運にも私のプロポーザルは量産車採用となり第2世代SLKのインテリアとして日の目を見ることになった。とはいえ、販売開始時にはメルセデスを退社していたので、実車を見たのは何年も後のことである。


2001年にサーブに転職した時の最初のプロジェクトもインテリアであった。その頃スウェーデンのヨ ーテボリ市内にあった先行開発デザイン部から、工場及びプロダクション・デザイン本部のあるトロールハッタンという街まで、モデルを作りにクルマで約1時間の距離をほぼ毎日の様に通った。


当時この車を作っていたイタリア、ベルトーネ社のスタジオで描いたスケッチ。薄暗い蛍光灯のついた 小部屋で一人黙々とスケッチを描いた。その場でデザインし、それがそのまま反映されるショーカー制 作のダイナミックさ、サーブ・デザインの自由さが今でも懐かしい。


そこで提案したデザインは最終的にサーブ9-3Xコンセプトとして2002年のデトロイト・モーターショウでデビューする。この車はのちに市販モデルとなる新型サーブ9-3のティザー的要素が大きかったため、スタイリング的にはいろいろと制約が大きかった。ダッシュボード形状はほぼ量産型のままだったが、センターコンソールにはまだ少しスタイリングの自由度があり、半分むき出しのシーケンシャル・シフトレバーやワンプッシュで飛び出すスターター・ボタン、ダイヤル型マルチファンクション・ノブ等様々なアイデアを投入すること ができた。


ドアには今では普通になった間接照明、カンティレバー式ドアグリップなどのアイデアを盛り込んだ。シートはフルフラット時に一面となる等の制約上、独自の形状を再現するのは難しかったが、グラフィック要素としてインテグレートされたマルチファンクショナル・レーリングシステム等、バーサタイル(万能)をコンセプトにしていた9-3Xの機能的な部分は十分に満たせていたと思う。


サーブはその後GMの100%子会社となり、皆さんご存知のように不幸にもその自動車会社としての使命を終え倒産の憂き目に遭うことになる。今のボルボの快進撃を見るにつけ、あの頃ミヒャエルと作っていた様々な提案の一つでも日の目を見ていたなら、きっと違った運命をたどっていたのにと思う今日この頃である。


文とスケッチ=山下周一(ポルシェA.G.デザイナー)

(ENGINE2019年2月号)


山下周一(やました・しゅういち) /1961年3月1日、東京生れ。米ロサンジェルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで、トランスポーテーション・デザインを専攻し、スイス校にて卒業。メルセデス・ベンツ、サーブのデザイン・センターを経て、2006年よりポルシェA.G.のスタイル・ポルシェに在籍。エクステリア・デザインを担当する。

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