2020.08.29

CARS

少年時代からいまだにに憧れ続けるスポーツカー 自動車ジャーナリストの日下部保雄さんを導いたフェラーリとは

見かけると今でも手が伸びてしまう250LMのミニチュアカー

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これまで出会ったクルマの中で、もっとも印象に残っている1台は何か? クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて考える企画「わが人生のクルマのクルマ」。自動車ジャーナリストの日下部保雄さんが選んだのは、「フェラーリ250LM」。少年時代に自動車雑誌で目にしたこのクルマが、人生をモーターレーシングへ導くきっかけになったと振り返る。

スポーツカーとレーシングカーの境目が曖昧な時代に誕生した最後のGT

物心ついた時からクルマと共にあった。

生まれたところは東京の神田。我が家はタクシー会社の傍らにあり、父はそこの地主であり従業員でもあった。排ガスと共にあったというのは決して過言ではない。ある日の早朝、雨戸の前で暖気運転するタクシーの排ガスが家に充満して、危うく一家心中するところだった。可愛がってくれた運転手はボクを助手席に乗せて営業運転してくれたが、乗り込んできたお客さんも別に文句も言わずにニコニコしていた。おおらかな時代だったのだ。


タクシーはダットサンやトヨタもあったが、ノックダウン生産されていた日産オースチンや日野ルノー4CVがあり、何もわからない子供でも乗り心地の差が歴然だった。ダントツにルノーが揺れない。トラックの域を出なかった国産車と最初から乗用車として設計されていた外国車では雲泥の差があり、特にルノーはストロークがあってソフトなサスペンションが良く動いて凹凸を吸収してくれた。

で、本題。ここで取り上げるクルマは、そんな幼年期を共に過ごしたルノーやオースチンではなく、もう少し成長してからの深紅のフェラーリだ。

しばらくクルマから遠ざかっていた少年時代、中学生になって俄然クルマへの興味が首をもたげ、ナケナシの小遣いで買った「クルマのアルバム」や「カーグラフィック」に掲載されていた深紅のフェラーリには衝撃を受けた。イタリアのクルマは何でこれほどまでに格好いいんだろう!250GTOの流れるようなフォルムにうっとりしていたが、ある時250LMと言う何ともこれまでの概念にない奇妙なスポーツカーに目を奪われた。

まだレーシングカーとスポーツカーが一体となっていた時代。フェラーリはスポーツカー・レースの王者だった。当然250LMも王者の血統を引いており、実はスポーツ・プロトタイプのフェラーリP2をCSI(現在のFIA)のルールに合わせるためにルーフのあるGTとしたのが250LMだ。


ピニンファリーナのデザイン、スカリオーネが架装したオール・アルミ・ボディはドライバーズ・シートの後ろ、ルーフ後端の整流版直後で断ち切ったようにリア・ウィンドウを配置し、その後ろはまるでトラックの如く長いフードが艶めかしく連なっており、やがてリア・エンドが断ち切られたようなコーダ・トロンカも衝撃的だった。ギラギラと繊細な光を放つワイヤスポークのホイールの華麗さにも心打たれたが、オープン2シーターのプロトタイプ・スポーツにボリュームのあるボディを被せながら、それが重く見えるどころか妖艶なフォルムとなって深紅のボディを際立たせていたのに感動すら覚えた。ドアの黄色い跳ね馬も強さと速さの印で格好良かった。

この250LMがサーキットを席巻する姿を想像するだけで、日下部少年は気高い貴婦人に一撃でやられてしまったのである。

結局250LMはホモロゲーションに必要な生産台数に達せず、サーキットを席巻する日も来なかったが、スポーツカーとレーシングカーの境目が曖昧な時代に誕生した最後のGTだったと思う。

少年時代、フェラーリ250LMはUFOよりも遠い存在で、憧れの遥か彼方にあった。いつかハンドルを握ろうと思うものだが、あまりにも遠い存在でそれすら考えられなかった。しかし250LMはいつかはモーターレーシングに触れてみたいと強く思うようになる切っ掛けを作ってくれたスポーツカーであることは間違いない。

今でもハンドルを握ったことはもちろん、実車を見る事さえないのだが、ミニチュアカーを見かけると今でも手が伸びてしまうのは少年時代の衝撃が心の片隅に残っているからだろう。

文・写真=日下部保雄(自動車ジャーナリスト)



(ENGINE2020年7・8月合併号)

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