フランスのソプラノ、ナタリー・デセイの歌は詩の世界へとひたすら没入するスタイル。彼女の歌声はあたかも台詞のようで、聴き手をオペラの物語の世界へと誘ってゆく。
フランスのソプラノ、ナタリー・デセイの歌唱は磨き上げられたテクニックと表現力、楽譜の裏まで読む深い洞察力、研究し尽くした歌詞の発音など隅々まで神経の張り巡らされたもので、聴き手にも集中力を要求する。オペラでは完璧なる歌唱と役になりきる演技力で圧倒的な存在感を示してきたが、現在はオペラの舞台から引退し、歌曲の分野で新世界を切り拓くとともに女優、シャンソン歌手としても活躍している。「私が歌を始めたのは20歳過ぎてから。子どものころから芝居をする俳優を夢見ていましたが、チャンスに恵まれず、声の方を認められたわけ。それから歌の勉強を一から行ったため本当に大変でした。みなさんが演技力を認めてくださるのは、もともと芝居が大好きだからです」
デセイの名は、1990年にウィーン国立歌劇場で開催された国際モーツァルト・コンクール優勝で一躍世界に知られるところとなった。「でも、声が小さかったのでいかに大きな声を出し、丸みを帯びた声にするかで苦労し、何年間もこの問題と闘いました。いま、歌曲ではようやく自然な声量と表現でうたえるようになりました」
オペラ歌手として得意な役柄はオッフェンバック「ホフマン物語」のオランピア、モーツァルト「魔笛」の夜の女王、ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」やドリーブ「ラクメ」の題名役など、超絶技巧を要する役やコロラトゥーラ・ソプラノ(速いフレーズやトリルなどの技巧的で華やかな旋律をうたう)の役が多かった。
初来日公演ではとりわけ驚異的な集中力に支配された「ランメルモールのルチア」のルチアがうたう「狂乱の場」のアリアが圧巻で、会場は息を殺したように静まり、観客は熟成された歌唱と鍛えられた演技に酔いしれたものだ。
デセイが舞台に登場すると、そこだけ空気が変わるよう。顔の表情から体全体が醸し出す雰囲気まで、すべて曲の内容に寄り添い、カリスマ性を発揮する。この演技力と表現力を兼ね備えた「奇跡の声」は聴き手の心を強く揺さぶり、もっと他の役を聴きたいと切望させる。そんなデセイのオペラの録音が33枚のCD+19枚のDVDとなってリリースされた。デセイは何度も声の不調に悩まされ、声帯の手術も行い、そのつどオペラの舞台に復活を遂げた。ここには、もう聴くことのできない貴重なオペラ・アリアが詰まっている。ひとつひとつのオペラに彼女の生きざまが強烈に宿っている。
文=伊熊よし子(音楽ジャーナリスト)
(ENGINE2021年6月号)
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