2021.08.22

CARS

あなたは「多摩川スピードウェイ」を知っていますか? 日本初の常設サーキットの昔と今


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1936年に開設された日本初の常設サーキットである多摩川スピードウェイ。6月のこけら落とし以降もいくつかのレースが行われた。しかしその後。戦時色がますます濃くなり、1938年4月の大会を最後に多摩川での自動車レースは幕を閉じることになる。

多摩川スピードェイ跡地が取り壊しの危機に

2年という短い期間ではあったものの、多摩川スピードウェイはヒトとモノの両面で日本の自動車産業の礎を築いた。仮に多摩川スピードウェイが存在しなかったら、日本の自動車産業は現在と違っていただろう。それは戦前に常設サーキットが存在しなかった他のアジア諸国の自動車産業と照らし合わせても明らかである。つまり、多摩川スピードウェイの跡地は戦後日本の驚異的な経済成長を支えた自動車産業の礎として、産業遺産として保全される価値があるのだ。

1926年のフランスのレーシング・カー、「ブガッティT35C」。三井財閥の総帥三井高公氏(のちの八郎右衛門氏、男爵)が当時所有していた。こちらも現在はホンダコレクションホールが所蔵。(写真提供=多摩川スピードウェイの会)

治水のための堤防を造成

ところが今、この重要な歴史的遺産が取り壊しの危機を迎えている。管轄主体の国交省は、現存する観客席を取り壊して新たな堤防を造成することを決定し、着工予定である2021年10月のわずか3ヶ月前に通達してきたのである。

この通達を受けて、多摩川スピードウェイの跡地保全や情報発信を行っている「多摩川スピードウェイの会」は、治水による安全性確保が最優先としながらも、本来行われるべき保全との両立に向けた工事の再検討を申し入れた。

80周年記念式典の折に「多摩川スピードウェイの会」から川崎市に寄贈され、現存する観客席に埋め込まれた記念プレート。(写真提供=多摩川スピードウェイの会)

自動車文化の成熟度が問われている

2年前の氾濫を機に国や流域の行政機関により「多摩川緊急治水対策プロジェクト」が立ち上がり、優先順位の高い箇所から順に補強対策の工事が行われているものの、この観客席はその対象地域にはなっていない。また、5年前の2016年に、多摩川スピードウェイ跡地がある川崎市は、その行政ビジョン「新・多摩川プラン」で跡地の保存を明言している。

もちろん治水と産業遺産の保全を同じ尺度で判断することはできない。しかし、この2点の両立に向けて大所高所から判断できるか否かで、自動車産業では大国に属するこの国の自動車文化の成熟度が問われているのではないだろうか。日本の自動車産業における礎のひとつとなった多摩川スピードウェイ跡地にはその価値が十分あるはずだ。

ひび割れや欠損があるが、長さ350mにわたって当時のままの姿で観客席が現存するのは奇跡に近い。(写真提供=多摩川スピードウェイの会)

文=小林大樹(多摩川スピードウェイの会 副会長) 写真提供=多摩川スピードウェイの会

(ENGINE WEBオリジナル)

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