2022.05.31

CARS

今夏で70年の歴史に幕 元祖ポルシェ輸入元、ミツワ自動車の去り際

銀座八丁目にあるミツワ自動車のショールーム

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ポルシェの輸入販売で一時代を築いたミツワ自動車が、この夏をもって自動車整備事業を終了、銀座のショールームも閉じるという。自動車ジャーナリストの吉田 匠氏が、ミツワ自動車との思い出を綴った。

1953年に上陸した2代のポルシェ356

かつてポルシェの輸入元として名を馳せたミツワ自動車が、今年7月31日をもって自動車整備事業を終了し、東京銀座にある本社ショールームも、静岡県富士小山のデポも、閉鎖するという。

当初「三和自動車」と表記されていたポルシェ輸入元としての同社の存在は、自分がポルシェとは無縁の10代半ばの頃から知っていた。同社はコピーも写真も当時の自動車業界としては抜群にあか抜けた広告を、1962年12月号を皮切りに、自動車誌『CARグラフィック』=『CG』に掲載していたからだ。

静岡県にある富士小山デポも7月に閉鎖される。

三和自動車の発端は昭和初期の1931年とされ、当時、自動車輸入業者や修理工場が軒を連ねていた東京の赤坂溜池に本社を構えて、アメリカの高級車パッカードを輸入していた。三和自動車がポルシェと関りを持ったのは1950年代初頭というから、356が当時の西ドイツ、シュトゥットガルトで本格的な生産に入った直後のことだ。

例の『CG』誌に載っていた同社の広告コピーによれば、それは西ドイツに長年住んでいてフェルディナント・ポルシェ博士と親交があったという日本人弁理士から、ポルシェを日本で販売して欲しいと頼まれたことに始まるというから、ミステリアスでドラマティックな話である。

当時の三和自動車の人々は、ポルシェなる人物も356というクルマも知らず、その仲介者が持ち込んだ356が写った3枚の写真を手掛かりにポルシェを扱うことを決断したのだという。結果、三和自動車は1952年、ポルシェの日本輸入元になる。

1年後の53年、三和が発注した2台の356が横浜に上陸し、いよいよポルシェが日本の路上を走り始める。

1965年になると911が輸入され、日本におけるポルシェの名声が一段と広まるが、三和自動車はその頃には六本木3丁目、あのレストラン・キャンティと目と鼻の先の飯倉片町交差点角に本社を構えて、存在感を増していた。68年に競技用の911Rが展示されていたのも、六本木ショールームだった。

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