2024.05.30

CARS

アルプスでミトを走らせ、アルファ・ロメオに思いを馳せる アルファにとって一番大事なものとはなんだろう?【『エンジン』蔵出しシリーズ/アルファ・ロメオ篇】

ミトを走らせ、アルファ・ロメオについて考えた

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険しい山岳路で輝く

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シャモニーの街を抜けて左へ折れると、すぐにモン・ブラン・トンネルが待っている。厳しく速度制限が課されたこの長いトンネルを抜けるとそこはふたたびイタリアである。モン・ブランの頂を反対側から見上げる南壁へと突き抜ける。標高はまだ優に2000m以上ある。そこからそのままアウトストラーダに乗ってしまえば、アオスタは目と鼻の先。でも、高速へは合流せずに右へ折れ、ピッコロ・ベルナルドを越えて再度、フランスへ入る。ほどなく九十九折りの峠道が待ち構えている。

それまでは「こんなにギア比は速くなくてもいいのに」と思っていたミトのステアリングは、しかし、そこでその最良の部分を見せつけてくれた。速いギア比はまさにうってつけ。慣性マスがまとわりつかない軽いノーズはぐいぐいと向きを変え、締まった脚は、ノーズの速い動きにも、無用なロールを許すことがない。

スイッチを操作してダイナミック・モードを選べば、アクセラレーターへの動きを待ち構えていたかのようにスロットル・レスポンスは速くなる。ターボ・ラグを最小限に抑え込んだ1.4リッター・エンジンは、きついヘアピンからの脱出にも、優れたピックアップ・トルクを捻り出して応えてくる。重さを感じさせない軽やかな回転フィールとこの大トルクのコンビネーションが、新しい。気持ちいい。そして、ドライバーは、息をつく間もなく右へ左へと九十九折りを泳いでいくミトのなかで、「これでこそアルファだよな」と独りごつことになるのである。

ヘアピンの連続を終えてグランデ・アルペ街道へ入ると、遠く左のイタリア国境と平行して走りながら南下する。谷間の小さな町、ヴァル・ディゼーレを過ぎると、再び、険しいワインディング・ロードが待ち構えている。崖に張り付くように走る狭い道は、ガードレールもなければセンターラインもない。大げさでもなんでもなく、生きるも死ぬもドライバーとクルマ次第。日本にいては死ぬまで知ることのない自己責任の道である。わざわざアルプスのなかを走るというのは、そういうことだ。

レジエーレ峠は2700m超え。凍結警告が表示されると間もなく、外気温度計は0℃まで下がった。冬を前に人気の消えた駐車場に停めて夕闇が迫るなか外へ出ると、すぐに歯がガチガチと鳴り出した。それでもシャッターを切り続ける望月カメラマンのプロ意識に感心しながら、待つことしばし。痩身の僕はもはや限界。クルマに逃げ込むと、ファインダーに映らないように身を伏せて、空の光がなくなるのを待った。

戻ってきた望月さんとヒーターを最強にしたミトのなかで体温を取り戻す。ヴァノワーズ国立公園に沿って走り続けると、チェニス山を越えてイタリアへと到る最後の峠が待っている。ヘッドライトの明かりを頼りに走りきると、夜の帳が落ちきったスサの街にでた。イタリアだ。

気づくと、僕らは食事をしていなかった。途中、給油したスタンドで買った干し葡萄を口に押し込んでいただけだ。しかし、すでにスタートから11時間以上が過ぎている。睡魔と闘い始めた望月さんに休むように進めながらアウトスラーダへ乗り、一路トリノを目指して僕は飛ばした。ミトは速かった。トリノはあっという間だった。街へ入ってピッツェリアへ入った僕らは、1日分の食事にありつこうと、パスタとピザを貪るように食べたのだった。580kmを走りきってホテルに辿り着いたのは、出発から13時間が過ぎた22時だった。


ムゼオ・アルファを訪ねる

翌日、さしたる疲労も感じずに目覚めた僕らは、ミラノへ向かった。郊外のアレーゼにアルファ・ミュージアムを訪ねることにしてあった。2010年にアルファが創設100周年を迎えるのを記念してリニューアルと規模拡大が決まり、長い休館に入ったばかりのところへ、無理を言って入れてもらうお願いをした。そこを訪れるのはこれで5回目だったか、それとも6回目だったか。

アレーゼ。アルファ・ロメオのかつてのヘッドクオーター。


ムゼオの中は、ところどころ配置は変わっていたけれど、静けさに包まれて往年の名車が眠るさまは、記憶に焼き付いているそのままだった。ダラックに迎えられてALFAの1号車を目にした後は、戦前の超弩級レーシングカーや高級車がずらりと並ぶ壮観なさまに圧倒されて、敗戦の後に始まった、戦後のアルファ・ロメオとともに時間を下る。時間はフィアット傘下に入る直前で止まっている。アルファ・ロメオの誇りがそこで停めたのかどうか。

新しく生まれ変わる博物館は建物も改築され、展示車両の数が、2倍に増えて250台にもなるという。

感慨を新たにして、僕らはトリノへ戻り、旧い本社のリンゴットに残されたフィアットのオフィチーネに、赤いミトを返したのだった。

文=斎藤浩之(ENGINE編集部) 写真=望月浩彦

(ENGINE2008年12月号)

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