2024.04.27

CARS

ジャガーEタイプとともに人生を歩んできたオーナーが、なぜ初代日産シルビアを手にすることになったのか? 素晴らしいクルマには必ず情熱的なストーリーがある!

日産初代シルビアとSR311型フェアレディ2000

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ジャガーの専門店(株)ワイズ/ジャガリア代表の後藤将之さん。根っからの旧車好きで、最近新車と見紛うばかりの初代日産シルビアを手に入れた。そのいきさつを聞いた。自身もちょっと古いミニに乗るモータージャーナリストの藤原よしおがリポートする。

忘れられない光景

「1979年かな? 神宮絵画館の前でやっていたTACS(東京自動車クラブ)のミーティングに行ったの。そこで後のジャガー・カークラブの会長の田村行さんがいてね。ちょうどEタイプのレストアが上がったばかりで19歳の僕に丁寧に説明してくれた。フードを開けたら光り輝くカムカバーがドーンとあって、パイプフレームにダブルウィッシュボーンのサスペンションが見えてさ、なんだこれは! ってくらい衝撃的だった。もう一目惚れだったね」



そう話すのは日本屈指のクラシック・ジャガーのスペシャリスト、ジャガリア代表の後藤将之さんだ。

「それで早速知り合いのクルマ屋に探してもらったら、半年後に6万km走った正規輸入車が出てきた。すべてはそこからですよ。でも当時はパーツを扱う店が1軒もなくてね。パーツを頼んでもなかなかこない。そんな時、1歳上の兄貴がイギリスに留学した。それで1982年に初めてイギリスへ行ったんだ。1ポンド500円以上したけれど、日本でワイヤー・ホイールを1本買う金額で4本買えた。そこからお金貯めて毎年行くわけ。その後ジャガーのインポーターだったオースチン・ローバー・ジャパンに入ってセールスやって、1987年に独立した。それで今に至るというわけです」

まさにEタイプとともに人生を歩んできたと言っても過言ではない後藤さんが今年になって手に入れたのが、65年から68年にかけてわずか554台しか作られなかった日産のスペシャリティー・カーの祖というべきCSP311型初代シルビアだ。なぜ今シルビアなのか? その意外な組み合わせの理由を知るためには、もう少し話を遡る必要がある。



「18歳で免許を取って、欲しかったのがSR311型のフェアレディ2000。幼稚園の時に親父がフェアレディ1500に乗っていたから、その刷り込みがあったんだろうね。でも“そんな古いのはダメだ”って中古の240ZGになった。嬉しくて来た日はクルマの中で寝たけど(笑)、やっぱりSRが欲しくて240ZGを売って、SR311の後期を買いました」

当時の後藤さんは北米の安全基準に合わせ、クラッシュパッドを貼ったダッシュボードやハイ・ウィンド・スクリーンを備えた68年以降の後期型の方が斬新に見えたという。

「ところがEタイプを知って、のめり込んでいくうちに気づいちゃったんですよ。オリジナルのデザインの方がいいことに。だから次にSR311を手に入れる時は絶対に67年のロー・ウィンドウにしようって、ずっと思っていたんです」

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