2024.07.17

CARS

アマチュアだけど、フォーミュラ・カーでレースをしてみたい! そんな夢を実践するカッコいいオヤジたち!!

夫婦で、家族で、そして仲間と真剣に、そして和気藹々と楽しむのがヒストリックカー・レースの醍醐味。

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クルマの最大の楽しみはやっぱり運転すること! 運転は上手くなればなるほど飛躍的に楽しくなる。趣味としてクルマ
に乗り、「所有欲」より「使用欲」を満たすことに喜びを感じる人々を取材した。レーシング・カーの中でもフォーミュラ・カーは究極ともいえる存在だ。だから乗ってみたいと思っても、いかにもハードルが高そうな気がする。でも、実際にはどうなのか。フォーミュラ・カーを楽しむ人たちに話を聞いてみた。自分でもフォーミュラ・カーを所有し使用欲を満たしているモータージャーナリストの藤原よしおがリポートする。

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憧れた世界

子供の頃からクルマ好き。そしてレース好きとして育ち「いつか本物のレーシング・カーに乗ってみたい」という想いをずっと持ち続けてきた。そんな僕が願いを叶え、ヒストリック・フォーミュラ・カーでレースをするようになって、もう10年以上が過ぎた。



そのきっかけとなったのがHFR(ヒストリック・フォーミュラ・レジスター)との出会いだった。

HFRはその名の通り“葉巻型”と呼ばれるヒストリック・フォーミュラ・カーでレース形式の走行イベントを行うアマチュア・オーナー&ドライバーのためのクラブである。

ヨーロッパでは同様のレースが70年代から行われており、98年に始まったモナコ・ヒストリックGPの1カテゴリーとしてヒストリック・フォーミュラ・ジュニア(FJ)のレースが開催されて以降、世界的な盛り上がりを見せているが、HFRの設立は2001年4月。当時の日本では走行できる機会も、マシンの台数も少なかったため、最初に筑波サーキットで行われたイベントでは、たった4台のマシンしか集まらなかったという。しかし今では50台以上のマシンとメンバーを数え、20台以上のエントリーを集める規模に成長した。







参加できるのは、基本的に60年代に製造されたウイングなどの空力付加物をもたないフォーミュラ・カー。58年から63年の1リッターもしくは1.1リッターのFJ、64年から66年の1リッターF2、64年から70年の1リッターF3を対象としたクラス1、67年以降の1.6リッターフォーミュラ・フォードによるクラス2、65年から72年の北米フォーミュラBとそれ以外のマシンを対象としたクラス3と、性能によってクラス分けがされている。

僕が初めてHFRのレースを見たのは、設立されてからまだ数年というタイミングだったが、パドックの一角に往年のナショナル・カラーに彩られた小さなフォーミュラ・カーが集う姿はとてもインパクトがあった。しかもオーナーは皆、これまでミニ、アルファ・ロメオ、ロータス、ホンダSなどでヒストリックカー・レースを戦ってきたベテラン揃い。そんな彼らが和気藹々と、そして嬉々としてフォーミュラ・カーを楽しんでいる姿に「これなら頑張れば僕もできるかもしれない」という親近感と「これぞエンスージァストが辿り着く1つの到達点」という、強い憧れを抱くようになった。

市販車とは別世界

とはいえ個人でフォーミュラ・カーを買うのはハードルが高い。なぜなら、そもそも台数が少なく市場に出るケースが少ないうえ、移動手段や保管場所の問題もあるからだ。

そんな中で転機になったのは懇意にしていたショップが、レストアした71年型のロータス69フォーミュラ・フォードを売りに出したことだ。もちろん金銭的にも技術的にも不安があったのは事実だが、そこで後押しになったのは、環境が整うことを待つよりも「体力的に乗るなら早い方がいい」という焦りにも似た思いだった。

とはいえ、買ってからがまた大変だった。シート背後に搭載されるフォード製1.6リッター直4OHVケント・エンジンは90ps程度しかないにもかかわらず、その加速力、コーナリングスピード、目線の低さ、そして身体に掛かるGは市販車とは別世界。最初の頃は筑波2000を10周も走ると、ヘルメットを被った頭を正体で維持できなくなるほどだった。また周りとのタイム差も大きく、焦ってスピンばかりしていた。



そんな時に支えになってくれたのが年齢や立場を超えて、レース談義、マシン談義に花を咲かせることができるクラブのメンバーだった。そして彼らのアドバイスを聞いているうちに、自分の運転がフォーミュラ・カーの俊敏な動きに対して「遅れている」と気付いてからタイムが上がり、何度かクラス優勝を飾れるまでになった。

それからは、新旧問わずロード・カーのインプレをする際にも、今までより余裕をもって試せるようになったし、クルマの挙動もより細かくシビアに感じられるようになった。そしてフォーミュラ・カーに乗り続けられるようトレーニングをし、体型の維持に気をつけている。

また、他のヒストリックカー・レースと同様、ホモロゲーションがないので、一度マシンを手に入れたらずっとレースを続けられるし、走る機会もイベントも増えたので、やる気になれば年間10 回近く筑波や袖ヶ浦、鈴鹿などでレースをすることも可能。さらにこれは実際に所有してみてわかったことだが、構造がシンプルで車重も軽いために、思っていた以上に消耗パーツも減らず、壊れず、維持費もかからない。

結果的にヒストリック・フォーミュラを始めたことは、個人的に“良いこと尽くし”であった。

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