2024.08.01

LIFESTYLE

10年ぶりの大回顧展が大きな話題に! 天才画家、ジョルジョ・デ・キリコの芸術道

シュルレアリスム芸術の成立に大きな影響を与えた。

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神秘的で不穏な作品で知られるジョルジョ・デ・キリコの展覧会が上野の東京都美術館で開催されている。その変遷から見る、天才画家の作品の面白さとは?

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神秘的で不穏な作品群

大物歌手が若い頃のヒット曲を歌うのを歌謡番組でよく見かける。その多くがテンポやキーを変え、サビに“タメ”を作り、当時と同じようには歌わない。以前はそんな勝手なアレンジが不満だったが、東京都美術館で開催されている「デ・キリコ展」を見て、その考えを改めるに至った。「デ・キリコ展」は、イタリア人の両親のもとギリシャに生まれ、ミュンヘンで学んだ画家、ジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)の全貌に迫る、日本では10年ぶりの大回顧展だ。デ・キリコは脈絡のないモチーフをちりばめた広場や室内を、歪んだ遠近法で描いた絵画で一世を風靡した。わかりやすい構成なのにどこか現実離れして、すべてが不可解で、そして神秘的で不穏な作品群を彼は「形而上絵画」と名付けた。詩人のアンドレ・ブルトンや彼の周辺にいた画家たちは彼の作品に夢中になり、シュルレアリスム芸術の成立に大きな影響を与えている。

《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年頃 1910年、イタリアの広場を散歩していたデ・キリコは「いつも見慣れた広場が、はじめて見た景色に見えた」ことをきっかけに、幻想的で不穏な雰囲気をはらむ「形而上絵画」を描き始める。

とはいうものの、デ・キリコが形而上絵画を描いてその名を轟かせたのは、20代前半からの約10年間だけ。彼は自らの美を追求することに貪欲で、古典芸術へ興味を持ち始めた頃から画風が一転、非常にわかりやすい伝統的な絵を描くようになってしまったのだ。この「転向」にシュルレアリストたちは大失望、デ・キリコは彼らに壮大にディスられることとなったが、彼にとってはどこ吹く風で、己の芸術道の追求をさらに続けた。しかし80代に入ってから亡くなるまでの約10年、若い頃描いていた不可解な絵を再び描くようになる。これを「新形而上絵画」と呼ぶ。

デ・キリコの「新形而上絵画」は、これまでは自己模倣とみなされ、あまり関心を向けられてこなかった。けれども近年、この「新形而上絵画」が注目され始めている。というのは、若かりし頃の「形而上絵画」と比べて不穏さが消え、不可解でありながらも、焼き直しでは醸し出せないチャーミングでユーモラスな雰囲気の作品が多いことがわかってきたから。経験の賜なのか、余裕を感じられるのだ。そしてこの「新形而上絵画」を見てから、大物歌手によるヒット曲の独自アレンジも、長い経験とゆとりがあるからこその芸なのだと、愛おしく感じるようになってきたのだ。

デ・キリコは長生きだったので、「新形而上絵画」を見ずに亡くなったシュルレアリストや文芸評論家も多い。新境地にたどり着いたデ・キリコを、彼らはどう感じたのか、一度聞いてみたかった。

文=浦島茂世(美術ライター)

《形而上的なミューズたち》 1918年 「形而上絵画」において、デ・キリコは古典絵画に必要不可欠な人物を無機質なマヌカン(マネキン)に置き換えた。マヌカンはミューズや予言者、占い師などさまざまな役割を演じている。

■『デ・キリコ展』は8月29日まで東京都美術館(上野公園内)で開催中。2024年9月14日~12月8日には神戸市立博物館(TEL.078-391-0035)で開催

(ENGINE2024年7月号)

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