2024.07.24

CARS

ヤフオク7万円で買ったシトロエンのオーナー、エンジン編集部ウエダ、フランスの聖地で愛車エグザンティアに関わったレジェンドたちと出会う!【シトロエン・エグザンティア(1996年型)長期リポート#43】

左から、コンセルヴァトワール管理人であるドゥニ・ユイユさん、アクティバ・クラブ代表のトマ・ベリニエさん、足まわりの責任者だったエマニュエル・レショーさん、製品マネージャーだったジャン=ピエール・デュヴィエさん。

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ポーランドとフランスという2つの国のシトロエンとエグザンティアにまつわる長期リポートの海外篇。今回はフランス・パリ郊外の、今はもう閉館してしまったシトロエンの博物館、コンセルヴァトワール内で行われた特別なトークショーの模様をお届けする。

いわばレジェンドだらけ

コンセルヴァトワール入口まで戻ってくると、アンドレ・シトロエン執務室の展示の前に、大きな2つのモニターが設置されていた。その前には折りたたみの椅子がずらりと並べられ、人々が集まりはじめていた。僕は運良く最前列のいちばん端の席を確保できたので、三脚を立て、登壇者の肉声がしっかりと録音できるよう、マイクのセッティングを入念にしておく。



最初に話しはじめたのは、CITROENロゴ入りのパーカーを羽織った仏アクティバ・クラブの代表、Thomas Beligne(トマ・ベリニエ)さん。彼の紹介で、このスペシャル・トークショーのスピーカーたちも姿を現す。集まった観衆は70人くらいだろうか。ちなみにベリニエさんたちが数えたところ、この日集まったエグザンティアはなんと56台もいたそうだ。先ほど取材をさせてもらったオーナーたちの姿もあちこちに見える。

トークショーは休みなく2時間半近くも続いたのだが、驚いたことに登壇者への質問以外、誰も余計な声を一切発したりはせず、とにかく参加者全員が真剣に聞き入っていた。エグザンティアないしはアクティバのオーナーという、そうとうに濃いシトロエン乗りであるこのクラブの面々にとって、今回の登壇者の話を直に聞けるのは、ものすごく貴重だったようだ。

それもそのはず。ベリニエさんが彼らのプロフィールを説明してくれて分かったのだが、登壇者たちの経歴は半端なかった。もはやレジェンドといってもいい……。順番に紹介していこう。

今回の登壇者4名での記念撮影をお願いした。

まず、最初にベリニエさんがサポートしつつ、今回リモートで声のみの参加となったのが、エグザンティアを生産していた仏レンヌ工場の元所長、Jean-Francois Villaneau(ジャン・フランソワ・ヴィラノー)さん。続く青いスーツの白髪の老紳士は、Jean-Pierre Duvivier(ジャン=ピエール・デュヴィエ)さん。彼はエグザンティアのプロダクト・マネージャーそのひとである。そして黒いダウンベストを着るもう1人の紳士が今回の真打ち。1990〜95年までPSAグループにおけるサスペンションとブレーキ・セクションの管理責任者であった、Emmanuel Lescaut(エマニュエル・レショー)さん! いうなればこの3人は、エグザンティアの、アクティバの生き字引といっても過言ではない。

そして彼らのサポートを務めるのだろう。コンセルヴァトワールの住人として動画などでもお馴染みの、シトロエン・ヘリテージの管理人であるDenis Huille(ドゥニ・ユイユ)さんもベリニエさんと後ろに控えている。なおドゥニさんの登壇中、もう1人動画でだけの登場となったのがJean Luc Pailler(ジャン=リュック・パイエ)さん。彼はあのエグザンティア・ターボ4×4ラリークロスのドライバーである! この5人の話をまとめて聞ける機会なんて、間違いなくもう2度とないだろう。地道な交渉を粘り強く続け、生誕30年という記念すべきこのタイミングに、素晴らしい面々の集うイベントを成立させたアクティバ・クラブ代表ベリニエさんの熱意に、あらためて驚かされる。

ここからは、彼らの話の中で、特に面白かった部分を抜粋してご紹介していく。一部画像は動画から切り出したため、やや不明瞭なのはご容赦頂きたい。

エグザンティア秘話

先代にあたるBXに比べ、飛躍的な製造品質の向上と組み立ての工程の改革が求められたエグザンティア。工場長であったジャン・フランソワ・ヴィラノーさんは、当時を振り返り、両者の違いをこう話してくれた。



「BXはそのデザインの特性上、ヘッドライトやバンパー、ドアに多少のずれがあっても許容されていましたが、エグザンティアではそうはいきませんでした。だから溶接の継ぎ目も見えないよう工夫されていました。塗装ラインも新設され、防錆性能も向上。ただしフラッグシップだったXMに比べて予算は少なく、1982年製の組み立てロボットは再利用したんです」

「エグザンティアはとても美しいクルマで、生産開始をうれしく思ったことを憶えています。大きなリア・ハッチとモノコックの組み付けには、初の試みとなる接着剤も用いました。レンヌの工場やシトロエンの設計部門にとって、大きな挑戦だったのです」

続けて製品マネージャーのジャン=ピエール・デュヴィエさんが、エグザンティアの歴史を一通りおさらいした上で、生産台数などデータについて説明をはじめる。パワーユニットはディーゼルの方が多いイメージがあるが、両者の比率はほぼ50:50で、全体の90%ほどが5ドア・ハッチバック。残りの10%ほどがコーチビルダーのウーリエで製造されたブレークなのだそうだ。フランスでの生産終了後、イランのサイパ社によるノックダウン生産がされたことはよく知られているが、実は中国の恵州(フイヂョウ)工場でも、わずかに造られたそうだ。



最初はごく真面目にヒストリーを語っていったデュヴィエさんだったが、合間には当時のエピソード交えて笑みを見せる。

「まだエグザンティアが発売前、未公開の段階で、競合の他ブランドのクルマと一緒にフランスの公道をテストしたことがあったのですが、警察に呼び止められて……。でも彼らは、エグザンティアには気がつかなかった(笑)」

どうやら、珍しいナンバーが付いていたオペルのベクトラのほうに気を取られたらしい。偽装もなしで発売前のクルマの公道でのライバルとの比較試乗だなんて、当時は本当にまだまだおおらかな時代だったのだ。

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