現在はトラックやバスなど商用車の製造を行っているいすゞだが、2002年まではSUVも発売していた総合自動車メーカーであった。そのいすゞを象徴する乗用車といえば「117クーペ」をおいてほかにはない。
1966年、もっとも優雅なクルマとして受賞されたジウジアーロの逸品!
いすゞが初めて乗用車を製造したのは1922年(大正11年)のこと。同社の前身にあたる東京石川島造船所が「ウーズレーA9型」の国産第1号車をノックダウン生産で完成させた。戦時中も軍用トラック製造を続けていたいすゞだが、戦火が厳しくなってきた1943年にPA10型という7人乗り大型乗用車の試作を完成させている。戦後はトラック製造、バス製造から復興していったいすゞだが、1953年には英ルーツ社の「ヒルマン・ミンクス」を完全ノックダウン生産し販売に至る。

1963年に「ベレット」が、1967年には「フローリアン」が登場。そして1968年、いすゞの歴史の中で大きな意味を持つ1台のモデル「117クーペ」がデビューする。「117クーペ」は「フローリアン」のシャシーとパワートレインを利用して作られたモデルだが、ボディ・ワークが特別だった。デザインを担当したのはイタリアの名門カロッツェリア・ギアに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロである。

発売前のプロトタイプにあたる「いすゞ117スポルト」は、1966年のジュネーブ・モーターショーにおいてもっとも優雅なクルマに与えられるコンクール・デレガンスを受賞している。
1960年代の乗用車製造は大量生産が当たり前になってきており、ボディも大型のプレス機を使ってパネルを製作する手法が浸透してきていた。とはいえ、トヨタ2000GTや日産初代シルビアなど手作業によるボディ・メイクで作られたクルマも多く存在。

「いすゞ117クーペ」も初期型は手作業で作られているため“ハンドメイド”の名で呼ばれる。ジュジャーロがデザインしたボディはとてつもなく美しい面を持っていたのだが、それは当時のいすゞの持つプレス技術では再現することができず、また日本の板金職人も見た目だけで再現することは不可能だったため、いすゞはイタリアより板金職人を招聘し、社内で技術を学んだという。当時の月産台数は50台程度で、この台数の少なさもあり「117クーペ」のハンドメイドは特別なクルマとして知られている。
今回展示されたシルバーの「117クーペ・ハンドメイド」は、いすゞ車を数多く扱うISUZU SPORTS(イスズスポーツ)でレストア中のオーナー車ということで、非売品の札がかけられていた。
万が一のことがないように、慎重に近づきながら同社のスタッフにハンドメイドとその後の量産型との見分け方をお聞きした。


フロント・セクションではウインカーの位置がハンドメイドではバンパーの上側、量産型ではバンパーの下側になる。


リア・セクションではリア・コンビネーション・ランプがハンドメイドのほうが小さい。ナンバープレートの位置もハンドメイドはバンパーの上、量産型ではバンパーの下となるのが特徴だ。
そのほか細かい部分でハンドメイドと量産型の違いはあるが、レストアの際に量産型にハンドメイドの要素を入れ込むこともあり、ベースは量産型であるにも関わらずハンドメイドと同様の仕様となっていることも多々あるとのことだ。

初期の量産型は1.6リットル4気筒DOHCのソレックス2連キャブ仕様(120馬力)からスタートする。1981年に生産が終了するまでに排気量で言えば1.8リットル、2リットル、2.2リットル・ディーゼルなども登場。燃料供給装置についても電子制御燃料噴射(ECGI)やSUツインキャブ、シングルキャブなどが存在。カム型式もDOHCだけでなくOHCもあり、シリーズを通して見るとエンジン・バリエーションは多彩であった。
文と写真=諸星陽一
(ENGINE Webオリジナル)