2019.09.18

CARS

風切るパワード・スーツ マクラーレン720Sスパイダーと過ごした夏の日

エンジンが毎年行うHOT 100ランキングに、2年連続で720Sクーペに1位の票を投じた本誌編集部員がスパイダーに乗って感じたこととは。


狭い峠道。身体をなでていく心地よい風。木立の間から差し込む光。もし空飛ぶパワード・スーツがあったら、こんな感じだろうか。森の中を行くマクラーレン720Sスパイダーの中で、僕は考えていた。



うだるような暑さを避け、若洲で720Sスパイダーの撮影をはじめたのは夜明け前。すでに交通量の多い首都高速とアクアラインでのろのろと木更津へ向かい、撮影を終えると時刻は11時を回るところだった。いざゆかん、ワインディングへ。返却の17時まで、スパイダーは僕のものだ。……けれど手のひらの上のiPhoneは、都心へ戻るルートのけっこうな渋滞を知らせている。箱根や筑波の峠道へ向かうには、時間が足りない。


強い日差しを避けるべく屋根は閉じたまま、館山まで南下し、房総半島を回ることにした。高速に乗ってスピードが上がると、記憶が蘇ってくる。どんどんどんどん速度を上げていっても、クルマの状態が手に取るように分かる。720Sクーペと同じ、まるで身体能力が一気に引き上げられたかのような、クルマと融合したかのような、不思議な感覚だ。


オープン化に伴うカーボン・バスタブへの追加補強は一切ない上に、スパイダーにはクーペのようなルーフ中央から伸びるドライ・カーボンのピラーはない。しかも車重は49㎏増している。それなのにクーペとスパイダーがもたらす世界は、まったく同じだと思った。


富津中央ICの出口前で、館山方面も事故渋滞の表示が出た。万事休す。ふたたび高速を降り、小さな木陰でしばしスパイダーを眺める。真横から見ると、リトラクタブル・トップを閉じたスパイダーは、ベースの720Sクーペと見分けが付かない。とはいえ、ドアを開けてしまえば違いは一目瞭然だ。クーペはAピラー付け根と屋根の前側に2つのヒンジを持ち、ルーフの一部とともにガバッと大きく開くが、スパイダーはヒンジが1つで斜めに跳ね上がる。


さらに高さを抑えるべく、スパイダーのドアは前方がわずかに短かい。スタイリングも開閉機構も自然で、クーペもこうだっけ?と錯覚する。シートの後ろの2つのこぶの中にはロールオーバー・バーが入り、さらに後方へ繋がるピラーにガラスが重ねられている。ピラー内が中空でガラス張りになるクーペほど視界は開けていないが、ミドシップのスーパー・スポーツカーなのに、高速の合流路でほぼ気を遣わなかった。


失うもの、得られるもの


入道雲が太陽を隠しはじめる。撮影の時をのぞき、閉じていたルーフを開く。もはや房総半島をショートカットし、鴨川へ抜けるしか道はない。そうして迷い込んだ千葉山中の峠道は、片側1車線ではあるもののすれ違うクルマは皆無。路面が整備されたばかりという、7㎞ほどの理想的なスペシャル・ステージだった。


普段なら720psもあるこんなスーパースポーツで、決して飛ばしたりしない場所だ。けれど、いくつかあるタイト・コーナーの場所が頭に入ると、もう駄目だった。ステアリングが正確無比な上、脚はしなやかに動き、硬さをいっさい感じない。


高速道路上で起こったクルマと融合したかのような感覚こそやや薄れるけれど、その引き換えに何にも代えがたい開放感と、身の回りをごく自然に流れていく爽やかな森の空気と、時にヴァオッと声高に叫ぶ4ℓV8ツインターボ・ユニットのサウンドが一気に押し寄せる。もう何往復したか分からない。走っても、走っても、走り足りない。結局僕は鴨川にもどこにも行かず、ただただ同じ場所を何度も走り続けた。


帰路につかなくてはならない時間が近づくと、ぽつぽつ雨粒が落ちてきた。仕方なくルーフを閉じたが、ふと思いついて昇降可能なリア・ウインドウを下げ、さらにボタンを押してルーフを半透明に切り替える。


これがいい。よけいな情報がかき消えて、代わりにあのクーペの統一感が戻ってきた。しかもV8の唄い声だけが通る。やや荒々しい低回転域とは異なり、上まで回すとギュィイイン!と一気にまとまろうとするレーシーな感触もたまらない。無限の空を得た720S。ホット1の座は、不動だ。



文=上田純一郎(ENGINE編集部) 写真=郡 大二郎


■マクラーレン720Sスパイダー/McLaren 720S Spider


駆動方式 ミドシップ縦置きエンジン後輪駆動
全長×全幅×全高 4543×1930×1196㎜
ホイールベース 2670㎜
トレッド(前/後) 1674/1629㎜
車両重量 1470㎏(前軸重量620㎏:後軸重量850㎏)
エンジン形式 水冷V型8気筒DOHCツインターボ
ボア×ストローク 93.0×73.5㎜
排気量 3994cc
最高出力 720ps/7500rpm
最大トルク 73.4kgm/5500rpm
トランスミッション 7段デュアルクラッチ式自動MT
サスペンション(前/後) ダブルウィッシュボーン/マルチリンク
ブレーキ(前後) 通気冷却式ディスク(CCD)
タイヤ(前/後) 245/35ZR19/305/30ZR20
車両本体価格 3788万8000円


文=上田純一郎(ENGINE編集部) 写真=郡 大二郎


(ENGINE2019年10月号)

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