2020.08.20

CARS

30歳の記念に買った真っ赤なオープンスポーツカー! カーライフ・エッセイストの吉田由美さんの人生の転機になったクルマとは

カーライフ・エッセイストの吉田由美さん

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これまで出会ったクルマの中で、もっとも印象に残っている1台は何か? クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて考える企画「わが人生のクルマのクルマ」。自動車ジャーナリストの吉田由美さんが選んだのは、「メルセデス・ベンツSLK」。

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人生の転機とともにやってきた赤いオープン・スポーツカー

いつかはオープンカー、いつかは赤いクルマと夢見ていた吉田由美さん。初めての買った輸入車のメルセデス・ベンツSLKは、スタイリッシュな女性に演出してくれた。

今回のお題。今でこそクルマの無い生活は考えられない私ですが、実は運転免許を取得したのはそれ程早いわけではなく23歳の頃。短大時代に出場していたミスコンはもちろん、1990年から「すべてシリーズ」のモデルを始めた当初は免許無し。少し経ってやっと普通免許を取得。その後でテレビ東京「スーパーGT」の前身番組「全日本GT選手権」のアシスタントMCを務めるなど、気が付くと年々クルマ濃度が高くなっていきました。

免許を取得して最初に買った新車は黒の日産プリメーラ。残念ながら今は販売終了となっています。同じ型式のプリメーラを2台乗り継ぎ(1台はアニバーサリー号でしたが)、次に乗ったのが初代「メルセデスベンツSLK」。これが私の輸入車デビューであり、私の人生を変えたクルマです。私の中で「いつかはメルセデス」「いつかはオープンカー」「いつかは赤い車」というのが夢でした。でもいざ車を購入するときになると、なかなか…。そんな時に登場したのが初代SLK。デザインはもちろんですが、一番の購入の決め手は屋根がバリオルーフだったこと。「いつかはオープンカー」とは思っても、心配性の私は、幌だと「屋根が破けたら、破かれたらどうしよう」という安全面と耐久性の不安から最後の一歩が踏み出せませんでした。その悩みを解消してくれたのがSLK。コンパクト・サイズだし、お値段もメルセデスのオープン・スポーツカーにしてはリーズナブル。しかもオープンカーでも女性が乗っても生意気に見えないというのも好感度が高く、SLKは私の望みをすべて叶える理想のクルマ。30歳の記念にと購入を決意しましたが、当時、SLKは大人気で納車は1年待ち。しかも予約をしたのにしばらく連絡なし。嫌な予感がする、と思って確認したところ、なんと! 予約自体が入っていないことが発覚! 気持ちが折れかけましたが、その後に速攻で納車されたように記憶しています。


メタル・トップが電動で開閉する“バリオルーフ”を持つメルセデス・ベンツの2座オープンカー。初代は1997年に発売され、大人気品薄状態となった。

メタル・トップが電動で開閉する“バリオルーフ”を持つメルセデス・ベンツの2座オープンカー。初代は1997年に発売され、大人気品薄状態となった。

SLKが納車されたのが1998年か1999年。そして私はSLKオーナーの期間中に、人生の転機を迎えます。2000年から「カーライフ・エッセイスト」として歩み出したのです。当時、私はモデルの仕事をセーブして「日産ドライビングパーク」で安全運転トレーニングのインストラクターの仕事をしていましたが、元日産CEOカルロス・ゴーン氏の「日産リバイバルプラン」によってまさかのリストラ。それによってフリーランスの道を歩まざるを得ない状況になりましたが、私がやりたいのは「モータージャーナリスト」でも「自動車評論家」でもない「カーライフ・エッセイスト」という道。私がやりたいことはそれまで誰かがやってきたこととは少し違うと思ったので、肩書も自分で考えたオリジナルなものにしました。

そんな時に乗っていたマグマレッドのSLKは、私をスタイリッシュな女性に演出してくれたと思います。そして「赤い車を選ぶ時は何かを頑張りたいとき」と言いますが、まさにその時の私がそれ。真っ赤なSLKからパワーを貰いました。残念ながら当時のSLKの写真はいろいろな媒体に貸し出して行方不明です(涙)。

文=吉田由美(カーライフ・エッセイスト)

(ENGINE2020年7・8月合併号)

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