2020.09.04

CARS

岩のように硬く重いクラッチと背後で唸る12気筒エンジン、容赦のない異様な熱気に「えらいもん買うてしもうたかも」と思った! 自動車ジャーナリストの西川 淳さんの人生を楽しくしてくれたクルマとは

若かりし頃の西川淳さん

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これまで出会ったクルマの中で、もっとも印象に残っている1台は何か? クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて考える企画「わが人生のクルマのクルマ」。自動車ジャーナリストの西川 淳さんが選んだのは、「フェラーリ365GT4/BB」。手紙とFAXを頼りに個人輸入したベルリネッタ・ボクサーが繋いでくれた、人と人の縁こそが日々の人生を楽しくする財産と西川 淳は振り返る。

大切な財産の礎

鮮明な記憶として残っている最古のクルマは叔父のセリカ(SA22)だ。大学生だった彼の運転するセリカが幼稚園の門から入ってくる。教室からめざとく見つけた園児のボクは「おじさんのセリカや!」と指差し叫んでいる、誇らしげに……。そんな映像だ。

その頃すでにクルマ好きだった。マッチボックスをしゃぶりながら育ったようなものだったから。けれどもミニカーはミニカーでしかない。ホンモノに興味を持ったのはセリカから。助手席から仰ぎ見るレイバンを掛けた叔父の一挙手一投足に憧れた。クルマ好きを決定したという意味でダルマ・セリカの存在は大きい。けれども叔父とのセットでしかなかった。


長じてボクが最初に買ったクルマもまたセリカで二代目XX、今でいうスープラだ。とはいえそれもまた好きで憧れて買ったのではなく、好きなクルマとほんのわずかな共通点を見つけて決心したようなものだった。

共通点は色。二代目XXの前期にはストリート・トーニングという名の赤黒2トーン・カラーがあった。リトラクタブル・ライトのクーペ・ボディで下半分がブラック。その配色が小学生時代から憧れてきたクルマとよく似ていた(と当時は思っていた)からである。

似ていたのはフェラーリの12気筒ミドシップ、ベルリネッタ・ボクサー。

昭和40年生まれ、「スーパーカー・ブーマー世代」のど真ん中で、小学5、6年のときブームが最高潮を迎えた。故郷の奈良にはランボルギーニが多かったが憧れたのはフェラーリ。クラスメートの大方がカウンタック派だったことへの反動かも。はたまたこっちは昨日今日クルマ好きになったわけじゃないという意地か。

スーパーカーの絵をよく描いた。なかでもBBが多かった。当時はカウンタックより美しいと思っていたに違いない。365より512を好んだのはチンスポイラーがあって描きやすかったから。おそらくそんな絵を描きながら少年は心に決めていた。大きくなったらBBを買うぞ、と。

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