2020.08.09

CARS

26歳の時に限度いっぱいのローンで買った中古のロータス 初代オーナーを探しにイギリスにまで行った自動車ジャーナリストの藤原よしおさんのロータス愛が凄い!

藤原よしおさん、愛車の一台はミニ

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あらためてクルマとともに過ごしてきた来し方を振り返り、クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて、じっくりと考えてみるスペシャル企画「わが人生のクルマのクルマ」。とある自動車雑誌のロータスの記事を貪るように読み続けた予備校時代。その後、縁あってその雑誌を出す出版社に就職した藤原さんは、そこで人生を変えることになる1台のクルマに出会った。

たくさんの宝物をくれた

自動車は単なる工業製品の1つだが、時として人生をも変えるジャンピングボードとなることがある。

僕の場合、ロータス・エランがそうだった。


あれは1990年9月のこと。上京して高田馬場の予備校に通っていた僕は、昼休みに近くの書店で1冊の自動車雑誌を手にとった。憧れの自動車画家、Bow。さんが表紙を書いていたその本の巻頭特集はロータス・エラン。ベニア板を切ったインパネに繊細なスミスのメーターが整然と並ぶコクピットと、流麗なプラスティック・ボディとのコントラストに胸を掴まれ、勉強もせず貪るように記事を読み続けたものだ。

それから5年後の春、僕は件の自動車雑誌を発行する出版社の新入社員となった。そして26歳になったある日、僕の席の後ろで雑談していた役員の言葉が耳に入った。「誰か俺のエラン買わないかなぁ?」

ここを逃したらチャンスはないと手を挙げ、限度いっぱいのローンと引き換えに1972年式のエランS4スプリントのオーナーとなることができたのだった。

わずか700kgの車体に120psのロータス・ツインカムを搭載したエランは、走りにおいても、デザインにおいてもチャップマンの「引き算の美学」を最も見事に具現化したスポーツカーの最高傑作だと今でも思っている。

その一方でエランは走ること以外の楽しさも教えてくれた。

あれは初めて巻頭特集の仕切りを任された30歳の時のことだ。当時の編集長を説き伏せ、2つのエランのルーツ――すなわち、エランの生みの親と、僕の愛車であるシャシー・ナンバー“72120845G”の最初のオーナーを探すためにイギリス取材を敢行することにしたのだ。

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