2022.02.19

CARS

「半端なクラッシュだけはするな」26歳の誕生日プレゼントにとポルシェを貸した故徳大寺有恒氏の言葉がカッコいい 自動車ジャーナリスト、大井貴之の「俺の911ターボ物語」


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1989年の秋。オレはデビューしたばかりのR32型日産スカイラインGT-Rを購入した。復活したGT-RはグループAカテゴリーのレースで勝つためのホモロゲーション・モデル。サーキットはもちろん、高速でもワインディングでも、雪道であっても無敵の存在だった。GT-Rには心から満足していたが、同時に危機感も感じていた。こんな緊張感が無く、操りやすいクルマに乗っていたら運転がダメになる……。



次は何に乗るべきか。悩んでいたタイミングで出会ったのが、911ターボだった。某芸能人から911カレラの出物があったら紹介して欲しいと頼まれ、取材先に声を掛けたら紹介されたクルマだ。依頼されたのはカレラだから、予算的に合わない。しかし、出物は超お買い得だ。ならばオレが買ってしまおうか。実家で暮らす独身男だったオレに存在したクルマ購入のルールはただ1つ、車両価格が年収を超えないこと、だった。それでも度胸のいる選択だったが、その時に背中を押してくれたのは、匠大先輩のあの一言だった。

ホントかどうかは分からないが、走行わずか8000km。雨天未使用。ボディ・カラーはそれまでに見たことがないレイン・フォレスト・グリーン・メタリック。惚れた。そして1992年6月、オレはポルシェ911ターボのオーナーになった。

911ターボはもう、カッコ良くて美しくて、通勤途中に通る青山通りでは、ショウ・ウインドウに映ったマイカーの姿に惚れ惚れしながら走っていた。しかし、それはあくまで見た目の話。乗り物としての911ターボは、それまでの印象と変わらず、ちっとも馴染むことのできない厄介者。見た目の蜜月とは裏腹に、実はギクシャクした関係だった。

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