2023.12.03

CARS

シトロエンとポーランドの繋がりには、日本も関係していた!? ヤフオクの7万円のエグザンティア・オーナー、ウエダがシトロエン長年の謎に迫る【シトロエン・エグザンティア(1996年型)長期リポート#27(番外篇5)】

アンドレ・シトロエンとその家族を巡る旅の相棒はDS 7クロスバック。フェイスリフト以前の初期モデルで、ガソリン+メカニカル・サスペンションという仕様。francuskie.plのイェンドジェイ・フミレフスキさんの愛車のうちの1台だ。

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ヤフー・オークションで7万円のシトロエン・エグザンティアを手に入れ、10カ月と200万円かけて修復したエンジン編集部員ウエダの自腹散財リポート。大規模修理後、ようやく走り出すも初期トラブルに悩まされる本篇からはまた少し離れ、番外篇として2023年春に訪れた、ポーランド・ワルシャワからのリポートをお届けする。今回はシトロエンの創始者アンドレ・シトロエンと、その家族の歴史を追う日帰りのショート・トリップである。

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DSでシトロエンのルーツを探る



エグザンティアの生誕30周年を祝う宴の翌日、朝8時。ワルシャワのホテル、ショパン・ブティック前に真っ黒のDS 7クロスバックが滑り込んできた。

てっきり昨日と同じ、青いエグザンティアが向かえに来るとばかり思っていた僕は、ちょっとがっかりした。なぜならこの日は、シトロエンのルーツ、いわば聖地ともいえる場所へ足を運ぶ予定だったからだ。


DSとシトロエンはいまや別のブランドだ。しかも歴史をさかのぼれば、かつての名車DSにしても、創始者アンドレ・シトロエンとは繋がりは薄い。だからシトロエンの聖地には、ぜひともシトロエンで行きたかったのである。

DS 7クロスバックの運転席には、昨日のエグザンティア生誕30周年イベントの発起人であり、ポーランドにおけるフランス車のポータル・サイトfrancuskie.plのイェンドジェイ・フミレフスキ(Jedrzej Chmielewski)さん、そして後席には、通訳の女子大生、マルタ・セヴェリンスカ(Marta Severinska)さんが座っていた。マルタに助けてもらうのは、これでもう3日目。昨日も夜遅くまで付き合ってもらったからか、ちょっと眠そうだ。



そしてもう1人、助手席に座っていた紳士が、本日のショート・トリップのガイドであり、シトロエン史研究家のリサルト・オルシェフスキ(Ryszard Olszewski)さんだ。現在57歳。20年来のシトロエン愛好家であり、サポート・エディターとして主にヒストリー関連の記事をfrancuskie.plに寄稿している。

愛車は2021年の4月に購入したという現行C4で、これまでサクソなどを乗り継いできたらしい。ヒストリアンなのに、比較的新しいクルマばかりなのは意外である。昨日のエグザンティアの催しも素晴らしかったけれど、この彼が書いた記事こそが、僕をポーランドへ呼び寄せたといっても過言ではない。

123年前に何があったのか?

これまでリサルトさんがウェブサイトや雑誌などで主に綴ってきたのは、フランス人であるアンドレ・シトロエンと、ここポーランドの深い繋がりである。

話はいまから123年前、19世紀最後の年、1900年まで遡る。5人兄弟の末っ子としてパリで生まれたアンドレ・シトロエンは、まだ22歳だった。

5歳で父を、20歳で母を亡くした彼を支えていたのは、ポーランドに住む母方の縁者たちと、同じくポーランドに嫁いでいた4歳年上の長姉、ジャンヌ・シトロエン。




そしてジャンヌの夫、つまり義理の兄にあたる、銀行家ブロニスワフ・ゴールドフェダーだ。彼が今回の話のキー・マンである。

父母の名くらいはシトロエン史を辿るとよく出てくるけれど、姉の、しかもその夫である。少なくとも僕はまったく聞いたことがない名だった。だがゴールドフェダーは後にポーランドにおける日本の名誉領事も務めるなど、実は日本とも縁のある人だった。昭和天皇から勲章も授与されているそうである。

イエンドジェイが僕をポーランドに誘った時に「シトロエンとポーランドの繋がりには、日本も関係している」と言っていたのは、このことだった。

仏シトロエン社の公式ヒストリーとしては、アンドレはポーランドでエンブレムの由来となったダブル・ヘリカル・ギア、つまり後の“ダブル・シェブロン”を見つけたことになっている。そう、ギアにはじまり軍需産業を経て自動車ビジネスへと繋がる彼のキャリアは、ポーランドではじまったのだ。

こちらはご存じシトロエンの創始者、アンドレ・シトロエンとダブル・ヘリカル・ギア。

そしてその時、アンドレを手引きしたのが、ゴールドフェダーその人なのである。


リサルトさんは、ジャンヌとブロニスフのゴールドフェダー夫婦や、アンドレの母方の祖父や祖母について、当時の新聞や書籍、国家行政警察広報などといった膨大な資料から裏付けを取り、彼らがいつ結婚し、どこに住んでいたのか、どんな職業に就き、どんな亡くなり方をしたのかをずっと調べてきた。そしてその血縁のひとびとを1人1人訪ね、彼らが生きていた証を、丹念に丹念に聞き取ってきた。

その情熱は、みごとに実を結んだ。大きな発見は2つ。1つは、ワルシャワのオコポバにあるユダヤ人墓地で、土に埋もれかけていたアンドレの姉の墓を見つけたこと。

そしてもう1つが、123年前、つまり1900年4月に、仏エコール・ポリテクニーク(理工科学校)卒業間近のアンドレが、ゴールドフェダーの仲介で、シトロエンのエンブレムの由来となったダブル・ヘリカル・ギア、後の“ダブル・シェブロン”と出会った場所を突き止めたことである!

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