2024.01.19

CARS

ヤフオク7万円のエグザンティア・オーナー、ウエダのシトロエン聖地巡礼 たったひとり、モンパルナスのアンドレ・シトロエンのお墓の前で頭を垂れた【シトロエン・エグザンティア(1996年型)長期リポート#30(番外篇7)】

オルネー=スー=ボアにあるコンセルヴァトワールからほど近いB&Bホテルズの駐車場に停まっていたエグザンティア。後期型の2リットル・ディーゼル仕様だ。

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ヤフー・オークションで手に入れた7万円のシトロエン・エグザンティアを、10カ月と200万円かけて修復したエンジン編集部ウエダの自腹散財リポート。LHM漏れでキャリアカーを呼ぶ羽目になった本篇からまた少し離れ、今回は2023年春に訪れたフランス・パリからのリポートをお届けする。

早朝の冒険

気がつくと、朝の4時だった。眠い目をこすってあたりを見回す。一瞬いま自分がどこにいるのか分からなくなって、しばしとまどう。あぁそうだ、僕はいま、フランス・パリ郊外のB&Bにいるんだ。昨日、ポーランドのワルシャワから飛行機に乗って、夜遅くにこの宿に入って、今日はいよいよオルネー=スー=ボアにあるシトロエンの博物館、コンセルヴァトワールに行くんだ。フランスのエグザンティアの、とびっきりマニアックなグレード、“アクティバ”のクラブ・ミーティングがあるんだっけ……。



カーテンを開けると、あたりはまだ真っ暗だ。窓ガラスの向こうから、しんしんと冷気が伝わってくる。おそらく今日のミーティングの参加車両だろう。駐車場にいる1台のシルバーのエグザンティアの窓が、霜で白くなっていた。

さて、どうしたものか。ここからコンセルヴァトワールまでは約2kmほど。歩いて行っても30分。タクシーを呼んだら5分もかからないだろう。ミーティングの開始は10時と聞いている。コンセルヴァトワールも10時に開くはずだけど、いくらなんでも向かうのはまだ早すぎる。

でも時差ぼけのせいで、しっかり頭は覚めてしまった。うーん、あと6時間弱、いったい何をしたものか。





昨日までいたポーランドでは、アンドレ・シトロエンが自分の名を冠した自動車メーカーをスタートさせるきっかけになった場所であり、後のダブル・シェブロンのルーツとなるものを見た場所、いわば、彼のはじまりの地を訪ねることができた。はじまりの地があるなら、とうぜん終わりの地もある。

アンドレはここパリでその生をまっとうした。亡骸は、モンパルナス墓地にあるシトロエン家の墓に葬られている。

そうだ、今から彼の終わりの地といえる、モンパルナスへ赴くのはどうだろうか。ポーランドで姉や義兄、祖母の墓を訪ねたのに、本人の墓を無視するわけにもいかないだろう……。ふとした思いつきが、急速にリアルな形になって、頭の中でどんどんと繋がっていく。

モンパルナス墓地の開く時間は、冬期のこの季節の土曜日は8時半からとなっている。敷地内のシトロエン家の墓の位置も、ガイドマップにちゃんと乗っていた。

Googleマップで宿からのルートを検索すると、ほとんど始発のバスと電車を乗り継いでいけば、墓地まではせいぜい1時間ちょっと。ここからモンパルナス墓地を訪ね、それからコンセルヴァトワールに向かっても、10時頃までに到着することは十分可能だった。

終わりの地へ

身支度を終え、手袋を付け、マフラーを巻いて、しっかり防寒して7時前に外へ出る。昨晩はタクシーで空港から宿に入ったので気づかなかったのだけれど、大きな工場街の外れのようで、まわりは真っ暗だった。わずかな灯りを頼りに大通りへ出ると、多少クルマが行き交っているが、ひとけはまったくない。風はないが、ひりひりとした冷たい空気が、わずかにむき出しの目まわりの肌を刺す。5分ほど歩いて停留所で待っていると、誰も乗客のいないバスが、時間通りに現れた。



バスが10分ほどくねくねと曲がりながら暗い住宅街を抜けると、オルネー=スー=ボア駅に到着。切符を買いプラットフォームに立つ頃、ようやく空が赤く染まりはじめていた。



ここからパリ14区にあるセーヌ川の南側、ダンフェール=ロシュロー駅まで、電車で約30分の旅だ。土曜日なのに通勤客が多いのか、電車内はほぼ満席。時間が早いせいか、観光客はいない。まだコロナ禍の影響もあって、ひとびとの口数は少なく、車内の雰囲気はなんだか重苦しい。

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