2025.07.05

CARS

男の秘密基地の匂いがプンプンする 1974年式ポルシェ911を自分でエンジンも下ろしてメンテナンス

東京の閑静な住宅街。白いシャッターが上がるとエンジン・フードを大きく開けた白いポルシェ911の前にはこのクルマから下ろされたと思われるエンジンが置かれていた。

全ての画像を見る

廃車依頼を受ける

「この白い911は義父が1974年に正規ディーラーから新車で購入したものです」

advertisement


進木さんは整備している911がいまここにある経緯を話し始めた。

「慣らしが終わり、さあ楽しもうというところで義父は他界してしまいました。このクルマは少しでも動かし続けることが大事という義父の教えを守り、義母が25年間ちょっと離れたスーパーへの買い物に使っていました」

そんなとき付き合っていた現在の奥さんから家のクルマを廃車にして欲しいという相談を受けたのだという。

「さすがに母も911を持ちきれなくなった。家族の思い出が詰まっているので人手に渡したくない。潰して欲しいと言うんです」

1974年にミツワ自動車で進木さんの義父が買ったポルシェ911デラックス。「義父はエンスーで日産スカイラインGTA、GTB、GTR、さらにはフェアレディ240ZGなどを乗り継ぎ、ロールケージが張られたクルマで家族を乗せ富士スピードウェイへ通ったそうです」(進木さん)

当時それほどポルシェに興味のなかった進木さんだが、個体を見てさすがに潰すのは忍び難いと感じ、自分が生涯をかけて維持すると申し出た。ほどなくして結婚。74年式ポルシェ911は事実上のワンファミリーカーとなったのである。

引き継いでから25年、苦労話をすれば枚挙に暇がないという。

「まず、エンジン・ブローの洗礼を受けました。コンロッドが折れるほどの重症なのでフルオーバーホールが必要だと。修理代金は自分の貯金と同額でした」

いきなりの試練。幸いだったのは、ショップのメカニックがミツワ時代に最初に整備したのがこの個体だったことだった。

「おかげさまで魂のこもった整備をしていただきました」

そのメカニックが定年を迎えると、ショップの対応はまったく違ったものになってしまったのだという。

整備をポルシェ・センターにお願いすることにすると、ここでも元ミツワのメカニックが担当することになった。

「誰が修理するにしても、その内容を理解することが大事という教えを受けまして、そこから911のさまざまな機構に関する知識欲のようなものが芽生え始めました」

進木さんが下ろしたマグケースの2.7リッター・フラット6。ガレージには同じエンジンがもう1基あって、それも自分で組み上げている。「スペアが組みあがったら乗せ換えてオリジナルを完璧にオーバーホールしようと思っています。果てしない作業です(笑)」(進木さん)

ある日、調子が悪くなってポルシェ・センターへ持っていくとKジェトロニック(機械式燃料噴射装置)がダメだが、もう直せないと言われたのだという。人間が作ったものを人間が直せないわけがないと思った進木さんは、インターネットで部品を取り寄せ、試行錯誤を重ねながら自分で修理をした。以来、自分で修理をすることがライフワーク化した。

「もちろん、途中で絶望的な気分になることがあります。プロに頼まなきゃダメかなあと。でも、ここまでやってプロに頼むのも失礼かな、もうちょっと頑張ろうと。ネットに落ちている情報を的確につかむと出口が見えてくる。そこからは根性ですね。長いトンネルを抜けると光が見えてくる。そうして完成した時の達成感とビールがたまらないんです」

いやはや、機械音痴の私は驚くばかりである。

advertisement

PICK UP



RELATED

advertisement

advertisement

PICK UP

advertisement