最初はベンツEクラス
鳥谷さんは高校3年、18歳のときに運転免許を取得した。
「大学は4年間寮でしたから、クルマもバイクも禁止でした」
プロ野球選手として阪神タイガースの一員になることが決まったのは2003年だ。
「初めて自分のクルマを持ったのはプロ野球選手になってからです。2004年、メルセデス・ベンツEクラスのワゴン(S211)を買いました。ボディカラーは黒、外装をブラバス仕様にしました」
結婚を機にレンジローバー・スポーツを増車する。家族を持ったことにより、自分が球場へ向かう用のクルマと休日に家族と過ごすクルマの2台体制が始まったのだ。
鳥谷さんにとって初めてのアストンマーティンはラピードだった。レンジローバー・スポーツからの乗り換えである。
「野球選手で一番多いのはメルセデス・ベンツです。そのほかポルシェ・カイエンも多かったです。レクサスがブランド展開を日本でも行うようになると、レクサスも増えましたね。僕はほかの人と被りたくないので、アストンがいいかなあと。スポーツカー系で4ドアというのもいいと思いました」

子供の頃からクルマ好きだったというわけではないという鳥谷さんだが、クルマに乗り始めるとその面白さがわかってきたのだという。
「ラピードは内装や音響がすごく良かったです。クルマによってエンジン音や快適性、そして操縦性がいろいろ違うんだなあと思い始めたのもこの頃からです」
シーズン中ずっと試合がある野球選手にとっての楽しみはクルマ、時計、ファッションぐらいしかないんですと鳥谷さんは続けた。
「試合中はずっと同じユニフォームを着ているわけじゃないですか。自分の趣味趣向を表現するものとして、クルマはピッタリなんです。球場への出入りでクルマはみんなに見られますから、結構大事なんです」
将来プロ野球選手を目指す子供たちにも、憧れの人がカッコいいクルマに乗っているのは大きなモチベーションになるだろう。
家族用のクルマとしてメルセデス・ベンツGLやVクラス、そしてトヨタ・グランエースなどを確保しながら、試合へ向かうクルマとして鳥谷さんが次に選んだのがアストンマーティンDB 11 だ。
「クルマ選びの基準は見た目に加え、インテリアなんです。ラピードの内装がすごく好きだったし、アストンマーティンのエンジン音もお気に入りだったので、今度はよりスポーティな2ドアにしました」
このDB11は鳥谷さんが活躍した時期と重なり、自身にとっても一番いい思い出のあるクルマとなったそうだ。
「球場へ向かうクルマのなかで試合に臨むスイッチを入れていきます。試合が終わり球場を出て家に着いて、クルマから降り立ったときに初めてスイッチがオフになる。ですから、DB11のような球場へ向かうクルマで休日のドライブなどはしません。DB11に乗ったらオフではなくなってしまうからです」
クルマをひとりで運転するときに考え事や気持ちの整理をするという人もたくさんいますよと言ったら、「自分の場合それはランニングの時です」と鳥谷さんは答えた。
なんと毎月約200km、取材のこの日もすでに10km走ったのだという。引き締まったボディは日々の成果だった。
アストンマーティンを2台乗り継いだあと、2020年に千葉ロッテマリーンズへ移籍し、東京での単身生活が始まった。
「球場へ行くためのクルマを探していたら、たまたま個人売買で1960年代のメルセデス・ベンツ280SEを見つけたんです」
人生で一度は旧車に乗りたいと思っていた鳥谷さんはこれを購入、ロッテ時代の2年間ずっとこの280SEで球場へ通った。
「途中で止まったらどうしようという不安をよそに、まったくトラブルはありませんでした」
プロ野球選手を引退し、兵庫に戻った鳥谷さんはあまり乗らなくなった280SEを手放した。
「いま、自分用のクルマをあれこれ探しているんです。球場に向かうためのクルマではなくなったので、自分にとってどういうクルマがいいのか、かえって難しくなりました」
2013年、阪神タイガースの球団記録となる104四球を達成し、球界切っての選球眼を誇った鳥谷さん。彼のお眼鏡にかなうのはどんなクルマなのだろうか。
文=荒井寿彦 写真=筒井義昭 スタイリング=Kim-Chang ヘアメイク=高山ジュン
■鳥谷 敬(とりたに・たかし)1981年東京生まれ。早稲田大学を経て2003年阪神タイガースに入団。04年から開幕スタメンに抜擢されて以来、15年にわたって遊撃手として活躍した。2020年にロッテに移籍し、2021年限りで現役を引退。2004年9月から2018年5月までの1939試合連続出場はNPB歴代2位を誇る。現役通算2243試合、打率.278、138本塁打、830打点、2099安打。ベストナイン6回、ゴールデングラブ賞5回、最高出塁率1回。
(ENGINE2025年7月号)