2025.06.12

CARS

新旧レーシング・ポルシェが公道に降臨 50年の時を超えて邂逅する917と963RSP【前篇】

50年の時を超えて邂逅する917と963RSP。

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ポルシェが2025年のル・マンを目前に公開した963RSPは、IMSAとWECで勝利したマシンをロード・カーに仕立て直したワンオフ・モデルだ。

かつての917を思わせる姿形

そこには、彼らに初のル・マン総合優勝をもたらした917を偲ばせる要素が感じられる。

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先頃、ポルシェは自社のレーシング・カーがはじめて公道を走ってから50周年となる今年、その精神を受け継ぐロード・カーを発表する旨を明らかにしており、50年前の917の再来についての噂が飛び交っていた。その正体が、この963RSPだ。



車名のRSPは、かのロジャー・ペンスキーのイニシャルだ。かつてはF1もドライブしたレーサーであり、963も走らせるアメリカの有力チームや、インディアナポリス・モーター・スピードウェイも所有するレース界の重鎮が、963RSPのオーナーなのである。

ボディ・カラーのマルティニ・シルバーは、1975年にツッフェンハウゼンのファクトリーを発ち、アメリカへ送られ、最後はパリまでたどり着いた、シャシーナンバー030の917に倣ったもの。そのカラーリングで、現代に蘇る917、というコンセプトを体現している。



この、963RSPの元ネタともいうべき917だが、もとはFIA国際メイクス選手権で、打倒フォードGTを期して開発されたレーシング・カーだ。前年に惜敗した908を土台に、エンジンを3リットルのフラット8から、4.5リットルの180°V12に換装するなど設計変更を施し、10カ月の突貫工事で完成させた。



連続する12ヶ月に最低25台という生産台数規定を満たすため、ホモロゲーション・モデルも製作。当初の予定には間に合わなかったものの、かろうじて公認を取得し、1969年に実戦デビューを飾る。

初年は速さを見せつつも戦績は芳しくなく、メイクス王者獲得はほぼ908によるものだったが、出走しながら改良を重ね、翌1970年には主力として選手権を制し、ル・マンでも総合優勝。1971年には選手権3連覇とル・マン連覇を果たした。

その後は戦場を北米へ移し、ペンスキーと組んでCan-Amの略称で知られるカナディアン-アメリカン・チャレンジ・カップに参戦。連覇を達成した1973年を最後に、一線を退いた。



公道を走ったシャシー030のベースは、1971年のツェルトベク1000kmを戦ったレーシング・カー。しかし、参戦歴は1度きりで、その後はABSのテスト車両として使用され、役目を終えるとファクトリーで眠りについていた。

やがてロード・カーとして再生されたこれを手に入れたのが、カウント・ロッシことグレゴリオ・ロッシ・ディ・モンテレラ伯爵。ポルシェのレース活動における一大スポンサーだったイタリアの酒造会社、マルティニ&ロッシの創業家一族に名を連ねる実業家にして、ポルシェのエンスージァストだ。



ミラーやウインカー、スペア・タイヤといった法規対応部品を取り付けたほか、シートはエルメスに発注したタン・レザー、ルーフ・ライニングやダッシュボード、ドア・トリムはスウェードで覆われた贅沢な内装に。



とはいえ、ウッドのシフト・レバーや軽量化のため肉抜きされたキーなど、極力レーシング・カーの要素が残された。



このロッシ伯の917は今なお健在で、現在のオーナーは南フランスでその走りを楽しんでいるというが、963RSPのデビューに合わせ、ランデブー走行を披露した。



その半世紀を超えた精神的後継者がいかなるものかは、後篇にて改めて詳しく見ていこうと思う。

後篇はこちら

文=関 耕一郎

(ENGINE Webオリジナル)
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