2020.04.17

CARS

彗星のごとく登場したダラーラ・ストラダーレに初試乗! こんなクルマ、見たことない!

どのようにして生まれたのか

齋藤 ダラーラ社の正式名称はダラーラ・アウトモビリ株式会社。創設者のジャンパオロ・ダラーラさんが1972年に興した会社で、イタリアはパルマの近郊に本社ファクトリーを構えている。パルマ出身のダラーラさんはミラノ工科大学で博士号までとって1960年にフェラーリに入社。ほどなくしてライバルのマセラティへ移籍した。1963年には新興ランボルギーニに抜擢され、チーフ・エンジニアになった。フェラーリではカルロ・キティの下で働き、レーシング・フォーミュラ・カー開発にも携わった。マセラティでも同様。ランボルギーニでもレースへの想い断ちがたく、スポーツカー・レースへの参戦を想定してミウラのシャシーを開発したことは有名な話。でも、ご存知のようにフェルッチオ・ランボルギーニはレースの世界とは距離を置く立場を貫いて諸々が頓挫した。それで1968年にはデ・トマゾに移籍。そこで念願のフォーミュラ・カーを開発した。で、1972年に自らの会社を興し、フォーミュラ・カーを中心としたレーシングカーのコンストラクターとして本格的に活動を開始した。いまでは日本のスーパー・フォーミュラからインディカーまで含めて、F1を除くフォーミュラ・レーシングカーのほとんどを独占的に供給するまでになっている。フォーミュラ・カーの世界では史上最も成功したコンストラクターです。ジャンパオロ・ダラーラさんは、とにかくレースの人なんですよ。1980年代終盤にはスクーデリア・イタリアと組んでF1参戦も果たしているしね。さらに加えて、近年は外部からの依頼でスポーツカーやレーシングカーの設計開発を請け負うエンジニアリング部門も拡張して、いまでは売り上げの4割ほどがその仕事によるものらしい。


村上 でも、市販スポーツカーは、これが初めてなわけでしょ。


齋藤 そうなんだけど、自動車業界の裏で大きな役割を担ってきてたんだよ。量産自動車メーカーというのは炭素繊維強化樹脂でクルマ(の応力担体)を作るノウハウを持っていないんだろうね。いやいやあれこれとCFRPシャシーを使ったスポーツカーが出ているじゃないという話もあるけれど、真空釜で焼かない製法でセンター・バスタブを作っているマクラーレンを除くと、事実上それらのほとんどが設計はダラーラ・アウトモビリの仕事だったという驚くべき事実が、日本でのストラダーレ発表会で詳らかにされた。フェラーリのF50、エンツォ、333SP、KTMクロスボウ、アルファ・ロメオ4C、ブガッティ・ヴェイロン等々。フェラーリが自ら開発したのはF1部門を引退したロリー・バーンにやらせたラフェラーリだけ。


大井 裏方が表に出てきた、と。


齋藤 だからといって、市販ロードゴーイング・カーの分野で野望をもっているわけでは全然なさそうなの。ダラーラさんももう80歳代。自動車人生のなかで、自らの名を冠した市販ロードゴーイング・スポーツカーを作っておきたいという夢を実現したということみたい。1号車は実際、ダラーラさんに納車されている。開発は2015年に始まって、発表は2017年。日本では総輸入元がアトランティック・カーズに決まって2019年初夏に発表、発売という流れになった。ちなみに、とりあえずこのストラダーレは5年間で600台生産することを計画していて生産設備を整えたというから、次のモデルがあるかもしれないけど。


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