2020.09.05

CARS

残り10周! 富士スピードウェイの最終コーナーを滑りながらアクセル全開で行って掴んだポルシェ993GT2の世界初勝利 自動車ジャーナリストの松田秀士さんの凄い体験!!

ビート武さんの運転手もした松田秀士さん

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ポルシェ911には北野武氏の運転手を2年強経験していたので(北野氏は当時足に911を使用)慣れてはいたのだが、レース仕様は初めて。しかも450psともいわれるモンスターだ。ちなみに993GT2にはABSは装備されているが、トラクション・コントロールなどのスタビリティー制御装置は備わらない。これはロード・バージョンも同じだ。コーナリングは常に修正舵の連続で、まったくレースをしている雰囲気ではなく、結局シケインで他車と接触し初陣はリタイヤに終わった。 続く第2戦は5月。ゴールデンウィークの合い間に開催される富士戦。当時は今のようなFSWではなく高速の旧コース。サスペンションのピロボール化も間に合い、練習走行から快調にセットアップも進んだ。当時のGTはドライバー1人で走りきることも可能だった。いちおうペアを組んでいたが、レースの流れから、スタート・ドライバーのボクが走りきることを無線で伝えられた。レースも後半に差しかかったところでボクはトップ。しかし、最終コーナーで事故が発生しペースカーが入り、フルコース・コーションとなった。

事故処理が終わりリスタートした時には残り10周。背後にはチーム・トムスのスープラ(マイケル・クルム)がピタリと付けていた。そこからチェッカーフラッグまで、とにかくアクセルを踏み続けた。それまで最終コーナーは一度もアクセル全開ではなかったけれども全開でいった。ターボ・エンジンだから少しでもブースト圧を落としたくなく、長いストレートでのスピードを上げたかった。レース後半だったのでタイヤもタレていて最終コーナーも100Rも滑った。それでも必死でコントロールしてこの競走を制した。本当に出し切った10周だった。この勝利、実は993GT2にとっての世界初勝利だった。993GT2の特性をつかんだレースだった。最後の10周の間にベストラップを記録していたのだ。タイヤもかなり終わっていたのに。この10周がなかったらどうなっただろうか? と今でも考える。 このレースを終え、その足でそのままINDY500に渡米。予選で全体の7番目のスピードを記録した。予選方式の妙がありグリッドは後方に埋もれたが、明らかに乗れていた。 その年の最終戦・山口県MINE。ここでもまた一人で走り切り勝利。その年、GT1クラスで2勝したのはボクだけだった。リタイヤもあったのでシリーズ4位でチャンプは逃した。あの時993GT2をドライブしたことがレースだけでなく、今、ジャーナリスト活動を行う源にもなっている。自分にとって自分を変えた忘れることのできないクルマだ。



文=松田秀士(自動車ジャーナリスト)


(ENGINE2020年7・8月合併号)

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