それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。ENGINEの編集部員、齋藤浩之が選んだのは、「日産セドリック2200 GL」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。
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父は口数の多い人ではなかった。機械の扱いに長けていて、手先が器用だった。几帳面で綺麗好きだった。そんな父とたくさん話をしたという記憶がない。躾には厳しかった父に対して「こんちくしょー」という気持ちが心の片隅にあったからだろう。
なのに、絵を描くことも、筆で字を書くことも、模型を作ることも、自転車の乗り方も、野球も、オーディオの嗜みも、みな父が教えてくれたことだった、と最近気付いた。
クルマへの興味が本格化したのも、父がクルマを買ってからだった。最初のサニー1000は小学校低学年の時だった。母方のお婆ちゃんが危篤との知らせを受けて、まだ東北自動車もなかった時代に宮城の片田舎から奈良まで、家族を乗せて駆けつけた時は、たぶん不眠で父は走り続けたのだろう。東名に入ってからは、速度計の針が120~130km/hの間に張り付いていたことを思い出す。そういえば、サニー1200に買い替える時には、一緒にカタログを見ながら、トリムを決めたのだったか。父はモータリゼーション拡大期の多くの父親がそうであったように、クルマを替えていった。カリーナ1400に2台乗り、セドリック・ディーゼルも200Dと220Dの2台買った。日本で最初にディーゼル乗用車ブームが起きた時代のことだ。父はクルマと運転が好きだった。
小学4年生から自動車雑誌を読み始めていた僕は、友人と彼の並外れて理解のあるお父さんのおかげで、5年生の時に自動車の運転を覚えていたけれど、父にはずっと伏せていた。高校卒業と同時に運転免許を手にした時、家にあったのは330型セドリックの220D・GLだった。晴れて運転できるようになったと喜び勇む僕に、父はクルマの扱い方のイロハを徹底的に教え込んだ。
独りでクルマを持ち出すことが許されるようになってからは、父よりも上手くできるようになろうと、あらゆることに挑んだ。車幅ぎりぎりに両側から塀が迫る狭い道に入って後退で引き返したり、クルマの全長分の幅もない防波堤の上で何度も切り返しを繰り返して向きを変える練習をしたり、車体サイズぎりぎりしかない家の駐車スペースに一発で収める特訓をしたりもした。
それでも、父ほどスムーズに扱えるようになるのは容易なことではなかった。どうして変速ショックが皆無なのか? どうして燃費で勝てないのか? 曲がりくねった路で、横Gがさほど高まらないのにどうして僕より速いのか? 口に出して尋ねれば、きっと教えてくれたのだろうけれど、そうはしなかったのだから、自分で答に辿り着くしかない。セドリックは5ナンバー寸法枠一杯を使った事実上のフルサイズ国産車で、車は1.4t程だった。基本設計の古い4気筒2.2Lディーゼル・エンジンはシリンダーヘッドまで鋳鉄製で単体重量は220kgもあった。なのに当時のグロス表示での最高出力はたったの65ps。いま風のネット表示だと60psにも満たないだろう。しかもそれを発揮するのは4000rpmなのに、滑らかに回るのはせいぜい3000rpmちょいまで。アイドリングのすぐ上から3000rpm弱ぐらいまでがストレスなしに常用可能な回転域だった。たったの2000rpmぶんしかない。だから5段MTを駆使しなければ、スムーズに静かに走らせることもできない。ペダル・ストロークの深いクラッチは油圧作動式だったし、ぐるぐる回るステアリングもパワーアシストが備わったから、操作に力は要らなかった。でも、それらを滑らかに、操作速度を自在に変えながら操れなければ、父のようには走れないのだと知った。操作速度と操作量で思い描いた滑らかな曲線を描くように扱う。そうやって、いかなる時も最小舵角、操作速度最小変化を肝に銘じた運転スタイルが養われたのだと、今にして思う。運転の仕方を学びながら、父と話していたのかもしれない。生業の糧を父に教えられたということなのか。
父が他界してから、干支がひと回りした。
文=齋藤浩之(ENGINE編集部) 写真=日産自動車
(ENGINE2020年7・8月合併号)
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