2021.09.25

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初代ホンダZとランチア・デルタで夢のガレージ・ライフを満喫!

初代ホンダZとランチア・デルタで夢のガレージ・ライフを満喫

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サーキット走行仕様に仕立てた2台の愛車やバイク、さらに調度品に至るまで、ガレージの中に収まっている多くのものを自作し、楽しんでいる小沼さん。自作のバーカウンターで作ったお酒を楽しみつつ、クルマを眺めるのが至福の時らしい。

“水中メガネ”のホンダZ

「いまでこそガレージのオブジェとしてシャコ(車庫)レーサー化していますが、このホンダZは老後の楽しみとして公道に復帰させる予定です」

発売当時、特徴的なリア・ウインドウの形状から“水中メガネ”というニックネームが付けられた初代ホンダZ。小沼さんはこのクルマのことを親しみを込めて“盆栽”と表現する。そんなオレンジ色のレーシーな軽自動車は、1992年に個人売買でゲットした。「よく通る道にある中古車屋の軒下にずっと置いてあったんです。譲ってくれないかなと思って訊いてみたら、そこの従業員のクルマでした。3万円でOKという話になったので迷わず購入しました。その当時はガンメタでボディは錆だらけでしたね」

ホンダZは1973年式。レストアに掛かった費用はパーツ代30万円+鈑金代30万円。ボンネットの裏側にホンダZの開発責任者である吉岡伴明氏のサインが入っている。


購入後、オシャレな足グルマとして2年間ほど通勤に使っていたが、旧車のイベントに参加したときに他のクルマがピッカピカだったのを見て、外装のレストアを決意。ドア・モールをはじめ、当時手に入れられるパーツをできるだけ買い集め、町の鈑金屋に作業を依頼した。「フォトショップでボディ・カラーをアレコレ考え、初代シビックRSのサンセット・オレンジにしました。ホンダZ純正のオレンジよりも明るい色なので、気に入っています」

小沼さんは外装がキレイになったホンダZを駆り、筑波サーキットで開催されていた360ccオンリーの草レースに1999年から参戦するようになる。なお、そのレースで2003年には念願だった表彰台に登壇し、シリーズ・チャンピオンも獲得している。

「レースに参戦しようと決めた直後のことだったのですが、通勤途中にエンジンがブローして、自分の手で初めてエンジンをオーバーホールしました。ところが、クランクシャフトとメタルのクリアランスをしっかり取らなかったんですよ。そうしたら案の定、初戦の決勝レース中にブローしました。走行できた時間は15分ぐらいでしたね。その後、2回目のエンジン・オーバーホールを実施し、それ以降はブローしていません」



エンジンの排気量を400ccまでボア・アップしたホンダZは、筑波サーキットのコース2000を1分22秒で走れるという。ちなみに使うのは4速と5速だけで、第2ヘアピンを立ち上がると1コーナーまでは全開のままだという。

2005年にレース活動を休止し、ホンダZを長きにわたって寝かせていたが、再び車検を取ることを決意する。2017年にラジエターを新造し、タイヤも新調。キャブレターをCRキャブからノーマルに戻したらエンジンは難なく掛かったという。しかし、好事魔多しで、すぐさまウォッシャー液が出ない、ウインカーが点かないといったトラブルが出てしまい、挙句の果てには燃料が来なくなってしまって、ホンダZを復活させようという情熱がすっかり萎えてしまったそうだ。

ランチア・デルタHFインテグラーレ16Vは1990年式。


「もう1台の愛車であるランチア・デルタHFインテグラーレ16Vの代わりとしてクラシック・ミニや初代フィアット・パンダが欲しくなるときがありますが、ぼくにはホンダZがあるからいいやと思って、毎回踏みとどまっています。シャコレーサーとして眺めているぶんにはお金が掛かりませんから。可能であればホンダZをこれからもずっとキープしたいわけです。このガレージにMGミジェットとかが入っていても楽しいだろうなといった浮気心も芽生えたりしますが、今後もデルタとホンダZの組み合わせを維持して行こうと思っています」

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