2021.12.31

CARS

愛すべきグレート・レーサー! 70歳を越えてなお大好きな旧車で各地のラリーを走り続けるクルマ好きの熱血カーライフ!! 

若かりし頃に衝撃を受けたポルシェと幼い頃から夢見た美しいフェラーリを手に入れた安井滋一さんが次に飛び込んだのは、クラシック・カーの世界だった。ENGINE WEB、2021年の最後を締めくくるのは、70歳を越えてなお大好きな旧車で各地のラリーを走り続ける「グレート・レーサー」のストーリー。イベントで親交を深めた自動車ライターの西川淳がリポートする。

勉強はそっちのけ

「早う勉強してきなさい! あんたも医者になるんやから」。小学生のころから勉強ばかりさせられていた少年は、その反動でいつしかクルマ好きになっていた。集中できるように入院患者用の個室を勉強部屋代わりに使わされていたが、勉強そっちのけで夜な夜な美しい欧州車のフェンダー・ラインを描いてはクルマを運転することばかり夢見ていたのだった。1950年代後半、クルマなど村にまだ1、2台しかなかった頃。内科の診療医だった少年の父上は58年型トヨペット・コロナを転がして往診していた。アレを動かしてみたい。乗ったろ! 少年はとある夜に決行した。マニュアル・シフトの3速を見よう見真似で操作し動かす。クルマ好きならば誰もが経験する冒険だ。少年の名は、安井滋一。

最近、ハーレーのトライクも手に入れた。娘が大型バイクの免許を取ったのを見て悔しくなった安井さん。普通免許でドライブできる大型バイクのトライクを買って対抗というわけだ。奥様とタンデムで乗る撮影時の安井さんが最もいい笑顔だった。あまり乗っていないらしいけれど。


911の衝撃的な体験

医科系の大学に入ったらクルマを買ってやる。そう言われた安井さんはとりあえず勉強に打ち込んだ。けれども受験に失敗。浪人した。ほどなく父上がとある事情で運転できなくなる。「お前、もう運転できる年やったな。免許取ってこい!」。

父の運転手として当時デビューしたばかりのマツダ・ファミリア・プレスト・ロータリー・クーペを買い与えられた安井さんは、滋賀から京都の予備校までの60kmを毎日それで走った。講師よりいいクルマだった。3つ違いの弟とも一緒にファミリアに乗って予備校に通うようになった。ある日、2人が名神を走っていると、911ナローが迫ってきた。横に並んで尻を沈めた刹那、品川ナンバーのナローは青白い煙を吐き出して、あっという間に見えなくなった。

埼玉の歯科大学に入った安井さんはロータリー党を続けていた。革新性が気に入っていたのだ。サバンナRX-3のワゴンでスポーツカーをかもったり、ルーチェ・ロータリー・クーペの美しいベルトーネ・デザインを楽しんだりしたが、如何せん安井さんのハードな走りにせいぜい5万kmしかエンジンがもたない。おりもおりVWパサートに乗っていた父上が病気がちになり、毎週埼玉から帰省することになりパサートを借りるようになった。初代のB1。アウディ80ベース。これがよく走った。すこぶるつきの高速安定性を誇ったうえ、FFなのにコーナリングも素晴らしい。安井さんのクルマ目標が明確にドイツ車、ぶち抜かれたあのポルシェになったのもこの頃だ。

大学を卒業し、国家試験に無事に受かると、両親から関西へ戻ってこいと言われた。大学時代に知り合った奥様と結婚。大津市の病院に勤務し始めた安井さんは、早速、暗証番号0911のポルシェ貯金を始める。500万円を目標に、貯まったら頭金にしてポルシェを買うつもりだったのだ。ところが父上の知るところとなり、まだ早いと一喝された。飛行船部隊でソロモンにいた元軍医の父上は、とても厳しい人だった。安井さんは一計を案じる。父上の65歳の誕生日に、ポルシェ貯金をはたいて買ったメルセデス・ベンツ190Eをプレゼントしたのだ。以来、父上は安井さんのクルマ選びに文句をつけることはなくなった。

その後もメルセデスやBMWなどドイツ車中心の生活が続く。食事も趣味も何でもとにかく家族全員で楽しむことが好きだった。

1988年。20年越しの夢がついに叶う。911タルガの新車を手に入れたのだ。それから実に32年。積算計は22万kmを超えた。基本ノー・トラブル。内外装やエンジン、トランスミッションなどは当時のままだ。クラッチは2回、タイヤは何回替えたか覚えていない。オリジナルと違う点は89年の最終型と同じフロント・ホイールに換えたことくらい。これだけで高速道路への進入路でオンザレール感がはっきりと増した。



その頃、安井さんは矯正学教室特別研究生として毎月500km離れた新潟の学校に911で通っていた。片道500kmを4時間で行った。この人が死ぬとしたらクルマの事故しか考えられない。奥様は出かけるたびにたいそう心配したそうだが、一億円の生命保険も掛けておいた。実際、新潟から長岡までの長い直線で雨の日にハイドロを起こし、追い越し車線を跨いだまま斜め滑りしたことも。ポール・フレール先生のハイスピード・ドライビングを読み込み、ドラテクに目覚めたのもこの頃らしい。

50歳を迎える正月。幼い頃に美しいラインを描いては夢見たフェラーリを買いたいと奥様に宣言。目が悪くなる前に乗りたかったのだ。見つけてきたのが3年落ちの95年型フェラーリ456GT。F355も気になったが、2+2で家族も一緒に乗れた方がいい。それにフェラーリといえば12気筒だ。ロッソ・バルケッタという濃い赤色、大昔のフェラーリ・レッドが50代にふさわしいと思ったのも決め手となった。



きっかけはラリー・ニッポン

そんな安井さんがクラシック・カーに目覚めたのはつい8年くらい前のこと。地元をラリー・ニッポンが通過することになり、ランチ・イベントをクルマ仲間と企画。参加者に近江牛の焼肉を振る舞った。これが大好評で、翌年も立ち寄りたいと主催者が言ってきた。しかもできれば安井さんには出場して欲しい、と。

京都を出発するラリーに安井さんは息子さんとともに主催者が用意したフェラーリ365GTで出場したが、東京にゴールする前から自分用のクラシック・カーを買うと心に決めていた。新幹線に乗ると京都をやり過ごして大阪まで行き、前から目をつけていた58年型ランチア・アッピアを購入したのだった。

ラリー・ニッポンは安井さんに様々な変化をもたらす。地元のクルマ仲間が集まって“ハスオ会(ハイスピード・スーパー・オールド&オープンのオッサン会)”もできた。67年型MG-Cは会員から譲り受けたもの。ちなみに現会長は安井さんである。

現在のカー・ライフワークはアメリカで毎年開催される“グレート・レース”だ。2015年に初出場し、ハマった。翌年には現地でレース用に66年型フォード・マスタング・コンバーチブルを手に入れ、以来、毎年参戦。日本を代表するグレート・レーサーとして現地の仲間たちからも認められる存在にまでなった。

2020年はコロナで中止に。21年のスタート権は確保したままだ。出る気満々の安井さんだった。

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文=西川 淳 写真=阿部昌也



(ENGINE2021年2・3月合併号)

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