2021.06.19

LIFESTYLE

芸術家、イサム・ノグチが辿り着いた日本人のアイデンティティとは?

数々の彫刻作品やランプなどで知られるイサム・ノグチ。その展覧会から、日本とアメリカの血を引く彼のアイデンティティを探る。

20世紀を代表する芸術家であるイサム・ノグチ(1904-88)。ニューヨークと日本を拠点に活躍したコスモポリタンで……と紹介されることが多い。だが、東京都美術館で始まった展覧会「イサム・ノグチ 発見の道」を訪れると、彼の人種的アイデンティティを強く感じることだろう。イサム・ノグチは、日本人の父親とアメリカ人の母親の間に、私生児として生まれている。父親からは野口姓の使用を禁じられるなど拒絶されたが、世界中を旅して最終的に日本を感じさせる作風に行きついた。

人種差別が激しかった100年前は、日米どちらの国でも受け入れてもらえず、生き抜くための選択肢として母親が勧める芸術家の道を選んだイサム。フランスの彫刻家ブランクーシに弟子入りし、影響を受けながら自身の作風を作り上げていく。本展では、初期の1930年代から晩年まで、出展数は約90。一般的な彫刻だけでなく、家具・照明や作庭、遊具に分類される作品まで、幅広く紹介されている。

イサム・ノグチ (C)朝日新聞社

興味深いのは、彼にとって手掛けたものはどれもが「彫刻」であること。生涯このスタンスは変えず、例えば世界で最も売れた照明のひとつである「あかり」も、彼にとっては「光る彫刻」という位置づけだ。西洋美術と違い、定義の幅が広い。そもそもこの作品は、岐阜提灯の再興のために依頼され、1952年に製作したのが始まり。日本の文化背景を持つ作品が、彼を国際的に有名にした。展覧会場には巨大なサイズのモノを含め150点ほどのあかりを使ったインスタレーションが。この空間に身を置くと、あかりを彫刻だと感じたものだ。


高松市牟礼町のアトリエだった施設は、現在イサム・ノグチ庭園美術館となっている。若い石工との出会いが、ここを拠点とした理由のひとつ。イサム・ノグチ庭園美術館石壁サークル撮影:齋藤さだむ(C)2021 The Isamu Noguchi Foundation and GardenMuseum/ARS, NY/JASPAR,Tokyo E3713

高松市牟礼町で制作された晩年の作品も数多く展示されている。イサムはこの地の石工との縁により、牟礼で暮らしながら制作を行った。その頃のイサムは、「石の声を聴いて、最小限しか手を加えない」という日本的なスタンス。「作家の心の中にあるものを作品とする」西洋的な美術と真逆のアプロ―チだ。


人種差別が色々とニュースになっているこのご時世。「発見の道」と題された展覧会は、これまでのイサム・ノグチ展とは異なる部分が心に響いた。

大理石を削ったパーツや、鋳造して作られたパーツを組み合わせた作品はイサムの初期に多い。作風が変化していく様子が興味深い。イサム・ノグチ《化身》1947年(鋳造1972年) イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)蔵(公益財団法人イサム・ノグチ日本財団に永久貸与)(C)2021 The Isamu NoguchiFoundation and GardenMuseum/ARS, NY/JASPAR,Tokyo E3713

石に最小限の手が加えられただけの、後期のイサムの特徴がよく表れた作品。今回の展覧会のタイトル名にもなっている。イサム・ノグチ《発見の道》1983-84年 鹿児島県霧島アートの森蔵Photo:Kevin Noble(C)2021 The Isamu Noguchi Foundation andGardenMuseum/ARS, NY/JASPAR,Tokyo E3713

内覧会には、妻だった女優山口淑子に敬意を表し、着物姿の来館者も。イサムは画家のフリーダ・カーロや多くの女優と浮名を流す、非常に魅力的な男性だった。撮影:ジョー スズキ

「イサム・ノグチ 発見の道」は上野公園内・東京都美術館で8月29日まで開催中。


(ENGINE2021年7月号)



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文=ジョー スズキ(デザイン・プロデューサー)