2023.02.01

CARS

【スペシャルインタビュー】日産のデザインを率いる男、アルフォンソ・アルバイサさん「これからの日産車のデザインって、どうなるんですか?」

日産のグローバルデザイン部門の責任者を務めるアルフォンソ・アルバイサさん。

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父と、師と、大きな転機

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確かに昨今の日産デザインからは、自動車というよりも、むしろ建築物に近いエッセンスを感じることが多い。そこには建築家だったアルバイサさんのお父様の影響もあるのだろうか?

「それは否定しません。私の父のオフィスは自宅の近くにあり、子供の頃は毎日のように通っていました。父はいつもフェルトペンで図面を描いていてね。アトリエに行くと図面で描かれたものが模型になっていて、それが実物の建造物になる。これは私にとってとても衝撃的でした。そういう面では父の影響を受けていると思います。絵に書くことができるものはなんでも作れるんだと、そのときに学んだんです」

しかしそれ以上に大きな影響を受けた人物がいるという。

「学生時代に師事したジェリー・オクダ教授です。彼は1960年代前半にGMのデザイナーも務めた人物でね。3次元で思考する能力が弱いと、絵を書くのを禁止され、ワイヤーで立体ばかり作らされました。最後の2年は授業も出ず、毎日先生の指導を受け、生活のあらゆる側面を教わりました。社会での振る舞い、飛行機の乗り方、どこで何を食べるかとか、寝るか寝ないかまでね。とにかく360度すべて彼が教えるという感じ。決して笑わない厳しい人でしたが、本当に尊敬していました」

アリアのデザインのキーワードとして挙げられた“傾く”は本来、奇妙な振る舞いをするという意味だが、ここでは“普通ではない閃き”といった意味合いを持つ。

そして、もう1つの大きな転機が、2017年のグローバル・デザイン部門の責任者への就任だったそうだ。

「当時のCEOから中村史郎さんの後任になると聞いた時はストレスでした。その瞬間に、なんて自分は日本のことをわかっていないんだろうと思ったからです。日本人としての直感がないと日本でデザインのトップにはなれないとね。でもラッキーなことに田井さんたちとのチームがすぐに結成されたことが、大きな助けとなりました。そこで思い出したのは、1988年10月に初めて日本に来た時のショックでした。それまでずっとニューヨークに住んでいてニューヨークは地球の中心ではなく、宇宙の中心だと思っていました。ところが何も知らずに東京に来たらまた違う宇宙があることを知ったのです。そこでデザインの責任者になった時、あの気持ちをお客様に提供しないといけない。つまり安心感とワクワクさとモダニティと色彩と、日本でしか経験できないことをね。かつてはニューヨークを1000に1つの特別な存在だと思っていたけど、日本もそうなんです。その1の違いを掴むことができたら、ドイツ勢ともアメリカ勢とも戦っていくことができる。何もできなくても、その1さえ実現できたらいいと思ったのです」

それこそが“日産をデザインする”という意味で大事なことだとアルバイサさんはいう。

「デザイナーとして中身が美しいものとか自分の思考範囲内のものを見て美しいと思うこともあれば、自分では想像できなかったものを見て感動することもある。例えば2000年に見た小室秀夫さんのインフィニティFXのデザインは衝撃的でした。信じられない、自分の期待を超えるものだったんです。本当に自分ってなんて小さい存在なのだろうと感じて、衝撃でした。これからの日産デザインに必要なのは、デザイン・チームが自分らしさを見つけることでしょう。Zを見ていると彼らの顔、手が見えてくるくらいチームワークが強い。彼らは日々新しいことを学び自分を磨いているので、日産の未来は保証されていると思いますよ」


アルバイサさんは1988年に北米日産に入社。日産デザイン・ヨーロッパの副社長、インフィニティのエグゼクティブ・デザイン・ディレクターなどの要職を経て、2017年からグローバル・デザイン担当SVPの重責を担う。左はエグゼクティブ・デザイン・ダイレクターの田井 悟さん。「彼から送られてくるスケッチはとても建築的。バーっと線が描いてあって。たまに読み解くのが難しいですが(笑)」という田井さんに対し「日本語が上手でないので、感情を伝える手段として絵を使うのですが、彼は“またこれか”って思っているでしょうね(笑)」とアルバイサさん。


アルフォンソ・アルバイサさんが感銘を受けたクルマ「Jaguar E-type (1961)」
7歳の時、マイアミの木漏れ日の下で見たジャガーEタイプ
「何か1台を選ぶのは不可能です」と言いつつ、アルバイサさんが挙げたのは2台。1台は文中で触れた小室秀夫氏が2000年にデザインしたインフィニティFXのスタディ。もう1台は7歳の時、父親のクライアントが乗ってきた黒いジャガーEタイプのロードスターだという。「Eタイプは純粋に形。それと景色です。マイアミの木漏れ日に照らされた姿は美しかった。人生の宝物で未だにその形は好きです。私が自動車のデザイナーになるきっかけになったクルマです」

文=藤原よしお 写真=阿部昌也

(ENGINE2023年1月号)

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