2023.01.09

CARS

「統計データをもとに企画したクルマはもう通用しない!」新型トヨタ・クラウンを手がけた男が語る「クラウン・クロスオーバー」誕生秘話

新型トヨタ・クラウンとチーフ・デザイナーの宮崎満則さん

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なぜ、ここまでトヨタ・クラウンは大きく変わったのか。箱根のホテルを起点として行われた試乗会場で、チーフ・デザイナーに訊ねてみた。モータージャーナリストの島下泰久がリポートする。

ヒントはシトロエンDSにあった

新しいトヨタ・クラウンの誕生にまつわる逸話は、すでに色々なところで記されているからご存じの方も多いだろう。マイナーチェンジ案が豊田章男社長から却下され、この際クラウンの将来を真剣に考えてみては、と諭されたという話である。

車両の写真を見るとそれが一目瞭然だ。ベースが同じボディ・カラーでも、塗り分けの違いで見事に印象が変わる。一方内装のスケッチは黒いボンネットから連続する黒のベース部分に対し、俯瞰してみると外装と同じオレンジの部分が浮いて見えるような表現がなされている。

実はそれは今から2年半ほど前の話。たったそれだけの期間で開発陣は、まったく新しいクラウンを描き出してみせたのだ。その背景には、一体どんな経緯があったのか。チーフ・デザイナーの宮崎満則氏に訊いた。

「新しくしたいなっていう思いは実はずっとあったんです。きっかけは昔のフランスの映画かニュース番組か何かで観たシトロエンDS。周囲のまだフェンダーが独立したクルマとは別物の未来的なデザインで、こういうクルマに日本の政治家や地位のある方々が乗ってくれたら世界が変わるんじゃないかっていう思いが、ずっとあったんです」

世間での使われ方からすれば、クラウンはそれを具現化できるクルマである。とは言え、冒頭の話のように新型クラウンは、最初からこのデザインだったわけではない。

宮崎満則さんがデザイン優先で選んだ1台、Citroen DS (1967)。「そのクルマがあるだけで、世界を変える」。本文中にもあるように、宮崎さんがもっとも感銘を受けたクルマはシトロエンDSである。「オリジナルのDSの、後期型(1967年以降)の猫目のモデルですね。以前はまだ街でたまに見かけて、その姿がとても未来的で。クルマ単体ではなく、そのクルマがあることで街の世界観、風景さえ変わる。クラウンもそういう存在にしたいとずっと考えていたんです」

「セダンをどうにかしなきゃいけないっていう危機感は心の中にずっとありました。若い人たちに話を聞くと、それまでの自分の生活の中にセダンという存在はなかったと言います。20代だと家にあるのはミニバンかSUVだったでしょうし、仕事としてもセダンには携わっていない。ですからセダンをもう一度見つめ直すということで、仕事とは別に社内にセダン研究、モビリティ研究といった研究会を始めていたんです」

この時は純粋に、セダン復権のための研究、提案のための会だったという。ベテラン、若手が混ざり合い、議論を交わし、デザイン提案をまとめ上げていく場である。

「その中で彼ら若い人たちが、セダンにも面白いところがあると言い出して、リフトアップさせてSUVの乗り降りしやすさ、ラフに使えるという良さを取り入れたセダンがあれば、購入対象になるかなという話になった。実はそれをまとめ上げたものを上には見せていて(トヨタ内の製品別カンパニー組織の1つである)ミッドサイズ・ヴィークル・カンパニーの中嶋裕樹プレジデントも頭の中にそれはあったと思うんです」

この時のクルマはLUS=リフトアップセダンと呼ばれていたという。こうしてあくまでアイディアとして煮詰められていた最中、冒頭のマイナーチェンジの却下が起こった。その時に浮かび上がってきたのが、このLUSだったのだ。

「社長に『そう、これだよ』と言っていただいて、新しいクラウンの企画がスタートしました。デザインとしてはもうバイトーンのボディ・カラーもありましたし、大径タイヤも前提としていました。偶然、そうやって暖めていた企画があって、このタイミングで動き始めたんです」

サイドが丸まっていない大径タイヤやバイトーンの外装色が描かれたイメージ・スケッチ2点。

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