2024.01.16

CARS

997後期型、しかも6MT! 中古車があったら大人気 ベースモデルの911カレラは、どんなポルシェだったのか?【『エンジン』蔵出しシリーズ/911誕生60周年記念篇#13】

997後期型911カレラはどんなポルシェだったのか? 中古車バイヤーズガイドにもなるENGINEアーカイブス

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911誕生60周年を記念して『エンジン』の過去のアーカイブから"蔵出し"記事を厳選してお送りするシリーズ。13回目の今回は、2010年7月号のポルシェの徹底的なバイヤーズ・ガイド特集の巻頭に掲載した、ENGINE元編集長鈴木正文氏による2010年型911カレラのベース・グレードのテスト・ストーリーだ。997後期型のベースモデルの911カレラ。しかも6段マニュアルという現在の中古車なら希少性の高い911は、どんなポルシェだったのか?

べートーヴェン


西伊豆まで足を伸ばしてほぼ丸一日、2010年型の911カレラと過ごした充足感が僕の脳神経に残っていた。そのとき僕は、東名自動車道で都心に戻ろうとしていた。ひとときですら弛緩することを許さない張りつめた仕事のようでもあったスポーツ・ドライビングの時間は、すでに数時間前の甘美といえば甘美なエピソードになっていた。

911カレラのインテリアに華はない。しかし、ドライバーが運転という「ワーク」を効率よくおこなうための装備は充実しており、実質的だ。

僕は6段マニュアルを巡航ギアの6速に固定し、法定速度よりはいくぶん速いが、いくぶん速いだけでしかない速度でカレラを走らせていた。3.6リッターのフラット・シックスは、それに関心を向けない耳には変哲もなく重厚なだけの、しかし、ある感度をもってそれに意を払う者、というのはそのときの僕のことだけれど、その僕の耳には、深刻そうで野蛮に、つまりは不思議に魅力的に聞こえているのだった。

だれもが一度は見ただろう有名なベートーヴェンの肖像を僕は思い出すともなく思い出していた。あの、厳めしくも不機嫌そうで、狂わんばかりの暗い情念を、意志の力でねじ伏せているかのような偉大なドイツ人の、なぜか魅力的なポートレートを。深刻ぶりが魅力であるような深刻ぶりがある、ということを僕に気づかせた、のりこえ不可能な音楽家の顔を。


水冷になっても、エンジン本体はあいかわらず見えない。

前方に見えていた赤い点が、気づくと、すぐ目の前にあった。フェラーリF355に追いついていた。ドライバーが男だったか女だったかはわからない。しかし、その人はルーム・ミラーに大きく映った真っ赤なポルシェに気付いた。プンと一発、素敵にレーシーなブリッピングを3.5リッターV8にくれて軽快にシフト・ダウンを決め、あたりをはばからないファアアアアーンという嗚咽のような悲鳴を悍馬に上げさせた。

そして、とたんになまめかしく震えだした四囲の空気を置き去りにして、スルルルと遠ざかっていった。「ホラホラ、これが地中海の太陽の音だ。君も憧れているんだろう」といっているようだった。憂鬱顔のベートーヴェンでなくたって、憧れずにいられようか。ポルシェ911に出来ないことがあるとしたら、これがそれだ、と僕はおもった。


「生活」の北と南


しかし、イタリア人にしかできないことがあるように、ドイツ人にしかできないことがあって、ポルシェ911はそれをやっているスポーツカーだ。ことばを換えれば、ポルシェ911はその47年の全歴史を通じて、つねに「生活」にこだわってきた。華麗なルックスとパフォーマンスのためなら、よろこんで「生活」を犬に食わせてきたイタリアのスーパースポーツなどとは正反対に。


フロントのトランクルームは想像以上に深く、収容能力は高い(135リッター)。

「つまらぬ生活の仕事は家来にまかせておけ」とラテンの王、ルイ18世はいったというが、まぶしいほどの地中海の明るさがもたらす生活は、真夏でも肌寒さから自由になれない中央以北ヨーロッパの生活とは「生活」じたいがちがう。ラテンの生活が咲き乱れる花の色彩に飾られているなら、北の生活は沈んだ灰色だ。「つまらぬ生活の仕事」を家来にまかせても、ゲルマンの主人に残るのはやはり肌寒く、「つまらぬ生活」のほかはない。

それならば、ラテン人が目もくれない「生活の仕事」のうちに楽しみを見出さないとしたら、イタリアに逃げ出すほかない。かくしてドイツ人は「仕事」をおもしろくしてきたのだった。耕作=工作すること、つまりは勤勉であることが現世のよろこびである、というプロテスタンティズムの反語的・禁欲的快楽主義をおもいたまえ。


窮屈とはいえ、後部に2座席あるのは便利だ。

いささか一般論が長すぎたかもしれない。しかし、ドイツ的スポーツカーの極北、ポルシェ911の精神が、機械の「仕事」効率の最大化に徹した反語的・禁欲的快楽主義にあること、そしてそのことが、徹底的に実用的な、そして厳しくも正しい工業製品の則を決して踏み外さない高性能スポーツカー、911の、独特の倫理的キャラクターをつくったこと――、それをまず主張しておきたかった。プロローグとして。

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