2024.06.08

CARS

オープン・エアの世界が人生を変えた! オースティン・ヒーリー・スプライトに乗るオーナーの原点は、小学4年生で助手席に乗ったMGミジェットだった

オースティン・ヒーリー・スプライト・マークIIIとオーナーの奥村さん。

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原点は青いミジェット

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現在63歳の透さんがこのスプライトと出会ったのは3年前のこと。還暦になったらMTのクルマ、と決めていた彼が目を付けたのが、ホワイト・ボディと新品部品で組み立てられた白いスプライト・マークIIIだった。透さんの父親であり太養パン店の二代目、福人さんもまた初代フォード・マスタングなどに乗るクルマ好きで、そのおかげで透さんは免許取得直後からポルシェ914に乗り、以来パン修業の傍らMGミジェット、ケータハム・セブン、フェラーリ308GTS、964型の911スピードスターを乗り継いできたひとだ。一時993型のRSを購入した時や、家族と趣味のホース・ライディングのための馬具が運べるようにとBMW5シリーズ・ツーリングを選んだ時も、隣にZ3ロードスターが並んでいたというから、完全にオープン派なのは間違いない。



透さんのクルマ好き、さらにワインディング・ロード好きの原点は、実は小学校4年生の時に白樺湖の近くで横に乗せてもらった、青いMGミジェットだったという。スプライトの、いわば兄弟車である。

「衝撃でした。オープン・エアがこんなに気持ちがいいものだとは……」

以来50年、その思いはずっと心の中でくすぶっていたのだろう。様々なクルマに乗ったけど、結局戻ってきてしまった、と目を細める。



ちなみに青いミジェットのオーナーであり、透さんのいわばオープンカーの師匠は、なんといまもミジェットに乗り続けているそうだ。

「さっきも店に寄ってくれて。あのミジェット、もう完全なレース仕様になって、F3用ブレーキ・キャリパーを付けたりしているんですよ」

弟子は師匠の後を追いかけるもの。なにせスプライトを入手してからまだ3年なのに、心臓部のOHVのAタイプ・ユニットは実はもう3つめなのだ。1098ccの最初のエンジンはビーナスラインを走るには力不足で、1万rpmを目指して造った1275ccの2つめのエンジンは、上で力はあってもピーキーで扱いにくかった。3つめの今のエンジンは、英国専門店の発送ミスで偶然入手したクランクシャフトを用いたもの。排気量は1405ccまでアップ。当然部品を一揃いまた買うことになり、組み合わせるキャブレターはウェーバーの45DCOEになり……結局やっているうちにどんどんメニューは膨れていってしまった。

一見佇まいはオリジナル然としておりウッドのステアリング・ホイールや太めのロールケージくらいしか変更がないように見えるが、実はエンジンを中心に相当に手が加えられている。

師匠に負けじとボンネットの中は完全に別物となったが、内装も外観も、見た目はオリジナルに極力こだわっているのが奥村流。スピンナーの付いたワイヤー・スポークのホイールもオリジナルのまま。室内で違うのはチューニング・エンジンを気遣うためのデジタル空燃費計くらい。外観で異なるのは黒いFIA公認のロールケージ程度だろうか。トノカバーが付けられないのがちょっと、と透さんは残念そうにいう。

ホームグラウンド

現在のスプライトの走行距離は1万4550kmだが、これでも十分多い。この3年でエンジンを何度も換装しているし、遠出は長野の主治医の工房や、静岡の購入先くらい。走るのはほぼこのビーナスライン周辺なのだ。彼は「朝活」「夕活」と称し、愛犬の散歩ついでや時に家族を乗せ、毎日のように峠道を目指す。

峠道を行くスプライトは元気そのものでセッティングもこの場所にピタリと合っていたし、春夏秋冬移り変わる景色も素晴らしいものに違いない。走り出せば30分でこの天国。本当にうらやましい限りである。

「今日の空気も最高ですが、夏の、下界がすごく暑い時もここは涼しくてまさに天国なんです。オープンで走ると、もう叫びたくりますよ」

これだけ走り込んでいるホームグラウンドなので、コーナーの曲率、路面の荒れ、冬の凍結場所など、すべてが透さんの頭には入っていそうだ。雪降る季節もなんのその、らしい。ただ「流石にマイナス10度になる時期だけは幌を使いますよ。寒いを通り越して痛いから」だそうだ。

エンジンは5000rpmくらいまで十分常用でき、現在7500rpmくらいは回せるという。タイヤのグリップと出力特性のバランスも良好。アクセレレーターの操作で意図的にわずかにテールを滑らせ向きを変える。重心が低いOHVユニットのおかげで鼻先がすいすい入るし車体がとびきり小さいからライン取りも自在。助手席に少しお邪魔したが、意外や風じまいもすごくいい。



さらに青空を得るなら、例えばレーシング・スクリーンにしてはどうですか、と尋ねると、ケータハム・セブンで堪能したし、今は東京・目黒の工房で造られたサイドカーの付いたBMW R60があるからもう十分とのこと。サイドカーのあるバイクの操縦もかなり奥深いです、といかにも楽しそうに語る。かつて娘や息子を乗せたサイドカーに、まだ産まれて間もない孫を乗せる日が来るまで、元気に走るのが目標らしい。

ところで透さんの家業、太養パン店のサバサンドに話は戻る。峠道を満喫しすぎたせいで、結局僕がサバサンドにありついたのは夜遅い時間になった。オーブンで温めてかぶりつくと、くさみのまったくないふっくらとしたサバの身と、タマネギとレタス、マヨネーズのソース、もっちりどっしりしたパンが舌の上で見事に絡み合った。ぺろりと2つ平らげたと後日透さんに伝えると「できたてを食べて欲しかったな」と残念がられた。オープン・エアの世界は彼の人生を変える力があったが、彼の美味しいパンもまた、そうした力があるかもしれない。青空の下のスプライトと同じように、焼きたてのサバサンドにも、またぜひ味わいたいと思わせる、強い吸引力があるのだ。

文=上田純一郎(ENGINE編集部) 写真=岡村智明 取材協力=太養パン店(www.taiyopan1916.com)

(ENGINE2024年6月号)

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