2021.11.20

CARS

日本のスーパーカー界の生き証人が語るスーパー人生!

川沿いの静かな山の中にあるガレージの扉を開けると、2台の真っ赤なフェラーリと日本ではまずお目にかかれない、オレンジのグンペルト・アポロが現れた。膨大な数のスポーツカーとスーパーカーを乗り継いだというガレージの主は、今なお次の計画を練っているという。自らもスーパーカーを愛してやまない自動車ライターの西川淳が、広島在住の超マニアックなスーパーカー・オーナーをリポートする。

その少年には世界を渡り歩く勇気と知恵があった

広島。60年前。市内をよくぶっ飛ばすメルセデス・ベンツSL(パゴダ)がいたという。助手席にはたいてい子供が乗っていた。その子の名は、青野知広。長じて広島の“スピード狂”となる。ミスター“カー・マニアック”アオノ。今や、とある動画によってその名が世界のクルマ好きに知れた人物でもある。

西川さんと青野さん(写真右)の間にあるのがウルフ・カウンタックの写真。

その後の彼の生き様を想像していただける最高なエピソードがある。小学生の頃、友人一家がハワイ旅行に出掛けるというので、青野少年も連れていってもらうことにした。ところが、直前になって一家は旅行をキャンセルしてしまう。普通なら当事者が止めたら随行者もとり止める。青野少年は違った。ひとりで行くと言い出したのだ。家族が止める? 否、止めなかった。母に至っては、頑固な父親が一旦許可を出したのだから「もったいないわ、行くべきよ」とむしろけしかけた。

元アウディのレーシング・ダイレクター、ローランド・グンペルトが手がけたハイパーカー、アポロは2005年にデビューしたグンペルト社の最初のモデルで、青野氏の個体はプロトタイプ1号車である。ローランドの親友でもあったワルター・ロールの直筆サインも入った貴重な個体だ。

そうして青野少年はハワイへひとりで渡ることとなった。きっといろんな準備は整っていたはずだが、ただ飛行機に乗せられ訳も分からないうちにハワイに着いた。彼が覚えていることは、着いたら現地の旅行会社の人に会ってホテルに連れて行ってもらうように、ということだけだった。なんとか旅行会社に辿り着く(ハワイでまだよかった。青野少年はもちろん英語を話さない)が、オフィスは閉まっていた。日曜日だったのだ。途方に暮れた彼は知恵を絞る。日本語の看板を探そう! 見つけた日本語。飛び込んでみれば運良く広島出身の日本人がいて……これ以上“青野少年ハワイ珍道中”を書き連ねはじめると、もうそれだけで紙幅が尽きるだろう。要するにミスター・アオノには小さい頃から世界を渡り歩く勇気と知恵があった。



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