2021.11.20

CARS

日本のスーパーカー界の生き証人が語るスーパー人生!


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高校を卒業するとすぐに単身、フランスへ。世界をもっと見たくなったからだ。時は1970年代。彼はエネルギーに充ちていた。

青野さんはパリの雑貨屋でアルバイトをしながら金を貯める。貯まるとすぐにクルマを買った。デザインとラリーでの強さに惹かれて、赤いアルピーヌA110を手に入れたのだ。その時々の自分に無理をさせないクルマ選びという、彼の哲学はこのとき生まれた。そして美しいものは永遠に美しいという、普遍の美学も手に入れる。なるほどあの頃のアルピーヌは今見ても、美しい。



その後、フランスの雑貨やバッグを日本へ輸出し成功すると、ようやく帰国する。パリと広島を往復する忙しい日々を過ごしながら、クルマ道、それもスピードの追求という最も根源的で、彼のDNAが指示する道を歩み始めたのだ。

「クルマって、良き友でありパートナーなんですよ、ボクにとっては。だから場合によっては、わが身より大事に思うこともあってね。脳ミソの99%までクルマに使っているんもんですから」。彼は静かに笑って言うが、その言葉に偽りはない。

後にランボルギーニ・ムルシエラゴのRGT(レース仕様)にナンバーを付けて走らせていたときのこと。車内の温度が高くなり過ぎて危うく意識を失いそうになった。それでもミスター・アオノはクルマを停めなかった。停めたらクルマの方が大変なことになる。そう思ったからだ。彼の脳ミソは自らの身体的危機に際して、さらにアクセレレーターを踏めと命令したのである。走れば、自ずと温度は下がる。まさに“心頭滅却すれば火もまた涼し”、の境地ではないか。



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