2021.06.27

CARS

ローマとポルフィ―ノMに乗って、GTカーとしてのフェラーリを考えてみる

18世紀のグランド・ツアー

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いま私が思い描いているのは、かれこれ300年ほど前の18世紀に盛んに行われたというグランド・ツアーのことだ。GTというのは、言うまでもなくグランド・ツーリングの短縮形だが、それは元をたどれば、この18世紀のグランド・ツアーに端を発している。主に富裕なイギリス貴族の子弟たちが、学業の総仕上げとして、見聞を広め、異文化を身をもって体験することを目的として、短くても数カ月、時には数年にも及んで敢行することになったヨーロッパ大陸への大冒険旅行。その行く先は、まずはパリであり、さらにアルプス山脈を越え、フィレンツェを経由してローマを目指した。

当時の移動手段はもちろん馬車である。長距離を快適に、しかも必要な荷物を積み込んで駆けていくことのできる、エレガントで丈夫で軽いグランド・ツアラーが求められたのだ。その頃に書かれた大冒険旅行の指南書には、もっとも良いのは英国産の馬と英国製の馬車だと書かれていたそうだけれど、クルマの時代になってから最初に“GT”の名を冠したモデルを登場させたのは戦後のイタリア、1951年に名門ランチアからデビューしたアウレリアの2ドア・クーペだった。そのアウレリアの名が、当時のランチアの命名の流儀に従って、ローマからティレニア海に沿って北西に向かい、ピサへと至るいにしえのローマ街道のひとつであるアウレリア街道から取られていることは、クルマ好きの中にはご存じの方も多いだろう。当時のランチアはアッピアもフラミニアも、すべてローマ街道に因んだ名前だ。

私の想像の翼は、どんどん拡がっていく。ひょっとすると、フェラーリ・ローマの国際試乗会では、かつて18世紀にイギリスからやってきた若者たちがグランド・ツアラーたる馬車で駆け抜け、20世紀の半ばにはGTカーの元祖となったクルマの名前の由来となったその道を走っていたかもしれないのだ。その時、いったい、どんな感慨が私の胸のうちに去来しただろうか。

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