2023.09.16

CARS

トップ・ギアの9000回転で325km/h! 458イタリアとは、どんなフェラーリだったのか?【『エンジン』アーカイブ蔵出しシリーズ フェラーリ篇#1】

デビュー当時、すべてのフェラーリのなかで、V8をミッドシップするもっとも先鋭的なスポーツ・モデルと言われた458イタリア。その国際試乗会はフェラーリ本拠地、マラネロで行われた。そのステアリングを握ったのは、当時の『エンジン』の編集長の鈴木正文氏だ。雨の降るマラネロで鈴木氏は458イタリアに乗って何を感じ、どう思ったのか。貴重なアーカイブ記事を蔵出しするシリーズのフェラーリ篇として、ENGINE 2010年2月号のリポートをお送りする。

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夢の精神分析

フェラーリ458イタリアは「夢」のクルマだ。それぐらいすばらしいクルマなのだが、それだけではない。別の意味でも、つまり、フロイト流の精神分析的視点からしても「夢」のようなクルマなのだ。



この野放図なまでに奔放なルックスのフェラーリは、いまの地球温暖化的時代状況のなかでは、見るからに反エコであり、通念的な「社会的良心」にとっては抑圧すべき対象以外のなにものでもない。スピードへの身勝手な欲望を、これほど露骨に具現したシリーズ生産車はないのだから。ミドシップされるV8の4.5リッター自然吸気ユニットは、リッター当たり127馬力という信じがたい高比出力を発生し、カタログ・モデルの身分なのに、超スーパーカーたるエンツォ・フェラーリや430スクーデリアなどの特殊な限定生産車と同等のパフォーマンスを発揮しさえするのだ。

禁止された根源的欲望をかなえたいという欲望が、「良心」という名のフロイト的上位自我によって抑圧され、意識下に封じ込められるのとちょうどおなじように、458イタリアのようなクルマもまた、「社会的上位自我」によって、意識できないほど奥底深い隠された場所に押し込められてもおかしくない。いや、458的なものはすでに、自動車社会の「良心」が無意識の深層に閉じ込めようとしている、のではあるまいか。そして、「私」の根源的な欲望がついには夢となって噴出するように、458もまた、権勢いよいよさかんなエコ的自動車社会の上位自我=良心を突き破る「夢」として、僕たちのまえにいま、勇躍、噴出した――、と僕はおもった。それが、このすばらしきフェラーリのステアリングを握った直後の、いつわらざる感慨だった。458イタリアは二重の意味で、「夢」のクルマなのだ。



ちなみに、「私」の根源的欲望の実現のまえに立ちはだかるフロイトいうところの「上位自我」という名の「良心」が専制支配を続ければ、「人間は反抗するか、神経症になるか、それとも不幸になるしかない」(『文化への不満』中川元訳/光文社古典文庫)。夢のクルマ、フェラーリ458イタリアが存在を許されなくなれば、僕たちクルマ好きは、「神経症になるか、それとも不幸になるしかない」。なんとなれば、人間は夢見る存在なのだから。

ドライバー・インターフェイス

試乗会の朝、まだ暗いなか目覚めると外は雨だった。夢ではなく現実に。跳ね馬の本拠地、マラネロの11月下旬は、こんなふうに陰鬱な日が多い、と前夜の食事の席で、フェラーリのだれかがいっていた。フェラーリのラインナップ中もっともするどくスポーティなミドシップV8モデルのドライビング・ローンチには、またとないいやな天気だ。

しかし、集合地点のフィオラノのテスト・トラックに着いた午前9時ごろには、ぶあつい雲が垂れこめてはいたが雨は上がっていた。路面はウェットでも身体が濡れないだけラッキーだ、とおもうほかない。

午前中は山道をふくむマラネロ周辺の一般路100kmあまりを、午後はフィオラノを4ラップする、というのが試乗会のプログラムで、まずはコクピット・ドリルを受ける。



458の革新のひとつは、ドライビングに必要なすべての操作類を、「インフォテインメント」(オーディオやナビ、ハンズフリー電話などの情報&娯楽装備)用もふくめて、ステアリング本体か、ステアリングから手を離さずに届く範囲内に集中配置したドライバーとクルマのインターフェイスにある。その操作法をひとつひとつ聞いていくうちに、フェラーリがだれもやったことのないあたらしい運転環境づくりに挑んでいることがわかってくる。その前向きな進取の精神に僕は敬意を抱いた。

方向指示器やワイパー・スイッチ、ライト・スイッチなどは、ステアリング・ポストから生えるストーク類で操作するのがふつうだが、そういうものはこのクルマにはひとつもない。みんなステアリング・スポーク上かその周囲に、スイッチ・ボタンとして配備される。むかしとおなじくステアリング・コラムから生えるゆいいつのコントロールは、例のシフト・パドルだけで、しかもそれは大型化されて操作性が向上している。センター・トンネルからニョッキと伸びたアルミ削り出しのシフト・スティックを持つ3ペダル・マニュアルは、とうとうオプションでも用意されなくなった。すべてをステアリングを握ったまま操作する現代F1のマン/マシン・インターフェイスを徹底的に採り入れた結果、フェラーリ・ドライビングの古典スタイル時代は終わりを告げたのである。



ドライビング環境をここまで大胆に、同時代のレーシング・カーに接近させたスポーツカーはほかにない。もちろんフェラーリらしく豪華な装備があるとはいえ、だ。これに較べればポルシェ911もランボルギーニ・ガヤルド、アウディR8も、前世紀の遺物だ、と僕は走らせるまえに興奮気味におもったのだった。

フェラーリだけのV8

キイをひねってフュエル・ポンプの作動音を確認し、ステアリング・スポーク上のエンジン・スタート・ボタンをプッシュする。と、カリフォルニアゆずりのアルミ・ブロックとヘッド 機 構 を 持 つ 直 噴 V 8、4 499ccが、クランキング・ノイズを待つまでもなく瞬時に、ブオンという爆音とともに目覚めた。目覚めたが、ファスト・アイドルは気温が10度 C を 下 回 る と い う の に ち っ と も荒々しくない。しかも静かだ。スタート時に瞬間開いた排気系のバイパス・バルブがすぐさま閉じて、F40流にセンターに3本並んだテール・パイプのうち真ん中の1本にだけエグゾーストが流される仕組みになっているのだ。このバルブはスロットル・ペダルを深く踏み込むのをセンサーが感知すると、ECUの指令によって開き、外側2本のサイレンサーにも排気が回って大きな金管楽器のように、低いがボリウム豊かな音を放つ。いや、奏でる。

全長×全幅×全高=4527×1937×1213mm。車重は1485kg。0-100km/hは3.4秒以下という。タイヤは235/35(前)と295/35の20インチ。

フェラーリのV8には、特有の、いくぶんラフなフィールがある。それには理由がある。1973年にフェラーリ製ロード・カー初のV8モデルとして登場したベルトーネ(ということはマルチェロ・ガンディーニ)によるスタイリングの2+2、ディノ308GT4以来、フェラーリ製90度V8はレーシング・カーばりの180度クランクを例外なしに持つが、この4.5リッターもおなじなのだ。回転マスが小さく軽量で高回転に向いている代わりに、振動面で不利なこのクランク・レイアウトをいまも採用しているのはフェラーリだけだ。しかし、フェラーリのV8サウンドが、とりわけて金属的なノイズ成分を多くふくむのは、ひとつにはそれゆえで、それはフェラーリV8に個性をあたえ、それを聞く者の胸をかきむしる。

スロットルを全開にして、回転限界にまで上りつめていく458イタリアが発するサウンドは、F430よりもさらに豊満で、さらに金属的だ。メカニカル・ノイズとエグゾースト・ノイズのこのハーモニー・ミックスに、僕は声もことばもうしなって、もはやじぶんがステアリングを握っていることの意識さえ薄れていくのを感じる。ただ陶然として、スロットル・ペダルを踏み込むじぶんの右足がつくり出している、この、ベートーヴェンにもマーラーにも、そしてどんなスピーカーにもマネのできない、めまいがするほど豪華で、重層的で、そしてラウドな音の世界で恍惚とする。ヴァアアアアーン!

DCTとメリハリ

ところでこのV8は4.5リッターの排気量でありながら、570psものパワーを、最高許容回転数の9000rpmで発揮する。ギアボックスは2ペダル・シーケンシャルの7段「F1」デュアル・クラッチ・トランスミッション(DCT)のみで、先述したように3ペダル・マニュアルは用意がない。このDCTはカリフォルニアで初採用されたものの進化版。耳をふさいでいれば、体感上、アップ・サイドでもダウン・サイドでも変速を知ることは不可能なほどスムーズな変速をおこなう。比較的ソフトに自動変速をおこなう「オート」走行モード時においてすら、だ。

4.5リッターV8の最大トルクは540Nm(55.1kgm)/6000rpm。 潤滑はドライブ・サンプ。V8ミュージック。本文を参照してほしい。どんな音楽会の名演奏であっても、みずからステアリングを握って飛ばしているときの458ミュージックに比べられるものはない。なぜならそのとき、じぶんは作曲家であり、指揮者であり、演奏者であり、そしてオーディエンスなのだから、その音楽体験の重層性は圧倒的である。

DCTについては、あまりにスムーズで、一種の好ましい抵抗感、つまりメリハリがないことを理由に、スポーツ派ドライバーのなかには、リズムが狂うとしてそれを好まない者もいる。僕もその気持ちはわかる。しかし、この458のDCTのスムーズさには、あっけない印象はない。シフトが実行されるたびに変調する豪華なV8サウンドが、十分以上にメリハリをつくり出しているせいだ。

そんなことよりも、このDCTのトップ・ギア、つまり7段目はオーバードライブ・ギアではないことに注目すべきだ。7段目はクルーズ・ギアではない。レーシング・カー方式で、325km/hとされる最高速には、トップ・ギアの9000rpmで到達する。感激の設計ではないか。

とはいえ、ときにアマチュア・レーシング・ドライバーになる僕のような人間にとって最大の感激は、ステアリング・スポークの走行モード切り替えのための小さな赤いスイッチ、マネッティーノを、山道ではレース・モードに、フィオラノ・トラックではCST(スタビリティ&トラクション・コントロール)オフ・モードにして走ったときに訪れる。世界でもっともシャープなスポーツカーの、計り知れないポテンシャルの領域に、少しだけでも踏み込んだ気分になるからだ。

ステアリングが速い

458のアルミ・スペース・フレームは完全新設計で、静的ねじれ剛性がF430比で20%、動的ねじれ剛性がおなじく16%アップしており、剛性うんぬんについて弱点を指摘できるような弱さはまったく体感できない。つまり、最上の剛性感をもっている。最後まで路面が完全に乾くコンディションにはならなかったが、それでも全神経を集中して連続するコーナーをアタックしてわかったすばらしい美点はいくつもある。

ひとつはこれまでの(たぶん)どのフェラーリよりもクイックになり、まったく遊びのなくなったステアリングで、ロック・トゥ・ロックはわずか2回転しかない。しかも、ステアリングに手を添えたままクシャミでもしようものなら進路が変わってしまうほどダイレクトでタイトなレスポンスを持つ。油圧パワステのウェイトはフェラーリとしては例外的に重めで、肉の詰まったフィーリングがある。これだけダイレクトだと、他のフェラーリのように軽くすると過敏に感じられてしまうからだろう。

911は硬い反発感を芯に持つ乗り心地でありながら、その反発感をじんわりと抑え込むことによってよい乗り心地を実現しているが、458イタリアは、そもそもシャシーのしなやかな動きが、しっかりとしたボディと磁性体ダンパーの角のないマナーにうまく吸収されている感じで、硬い芯はどこにも感じられない。グランド・ツアラー顔負けのコンフォートだ。

しかし、このクイックなステアリングは、スポーツ・ドライビングをより楽しめるものにした。タイヤの向きを1度変えるのに必要なステアリングへの入力は11.9度にすぎない。F430では16.9度だったというから30%もステアリングが速い。それなのに、フロントのグリップ感が明瞭で、自信をもってコーナーに挑める。しかもロールをほとんど感じない。向きを変える軽やかな感覚と強烈な脱出加速がもたらす豪快な感覚が、ワインディング・ロードではかわるがわるに訪れる。電子ディファレンシャル制御のE-ディフ機構も進化したようだが、リア・サスペンションのグリップ、そのガッシリとした踏ん張りには目を見張るものがある。このシャープな最新フェラーリは、ウデの立つドライバーを狂喜させることになるだろう。

しかも、スポーツ性能がこれだけ高いにもかかわらず、458はガチガチの乗り心地からはもっとも遠い、しなやかな乗り味のクルマだ。日常にも使えそうなぐらい、すべてが洗練されているのだ。それこそ夢のクルマである。それは同時に、禁止された根源的欲望を解き放つ、うつくしい危険そのものとしてもある。

文=鈴木正文(ENGINE編集部) 写真=矢嶋修

(ENGINE2010年2月号)

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