2025.04.26

CARS

アルファ・ロメオ・ジュリエッタ生誕70周年 近代アルファの礎を築いたスポーティな大衆車は三度復活なるか?

ジュリエッタ・ベルリーナは2025年で御年70歳

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1955年4月20日、トリノ・モーターショーでアルファ・ロメオが「ジュリエッタ・ベルリーナ」を発表して70年が経った。1950年の1900で量産車市場へ参入したかつての少量生産メーカーの、新たな路線を確立させた功労者が70周年を迎えたのである。

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正確に数えれば71周年

厳密に言えば、前年にクーペの「ジュリエッタ・スプリント」がデビューしている。



しかし、1965年までに17万7690台が生産された全バリエーションのうち、13万台を占めるベルリーナこそが本流であることは誰もが認めるところだ。



エレガントで先進技術を盛り込みながら、手頃な価格で、しかもスポーティなジュリエッタ・ベルリーナ。憧れのブランドであったアルファ・ロメオのステータスや技術を実用車に融合させることで、あらゆる世代のクルマ好きの夢を具現化し、イタリアの好景気のシンボルとなった。

高級車から大衆車へ

そもそも1950年代初頭のアルファ・ロメオは、F1のタイトルを獲得し名声を得ていたが、経営は芳しいものではなかった。そこで、ビジネスの主軸を高級車から大衆車へ転換することが企図され、1950年に発売した1900は成功を収める。これを足がかりに、よりコンパクトなモデルの投入が計画された。



そして1954年、カロッツェリア・ベルトーネのフランコ・スカリオーネが手がけたジュリエッタ・スプリントをトリノ・モーターショーで発表すると、驚くほど好意的な反響を得る。じつはセダンよりクーペが先行するというのは、アルファ・ロメオとしては初の試みで、本命のベルリーナを今でいうならバズらせるための話題作りとして限定生産する予定だったが、あまりの好評に方針を変更。ベルリーナの開発も急ぐこととなった。そして、レースに勝てるファミリーカーを標榜したベルリーナは、万人の手が届くスポーティな走りの先駆者となったのである。



同時に、ジュリエッタはその後の欧州のスタンダードとなる、1300ccクラスを生み出したクルマでもあり、そのメカニズムやパフォーマンスに匹敵する量産セダンは、世界中探しても当時どこにもなかった。デザインを担当したのは自社のスタイリング・オフィスで、スプリントや、歴代モデルの要素を盛り込んだ。技術面では、1290ccで54psのツインカム・ユニットを積み、最高速度は140km/hに達した。

870kgという軽量さは、その性能を実現できた一因だ。世界初のアルミエンジンや、これもアルミ製のギアボックスとデフのケースが、重量削減に一役買っている。シリンダー・ライナーは、特殊な鋳鉄製を圧入。バルブ系はDOHCで、クランク・シャフトは5つのベアリングで支持される。



後輪駆動で、当初はコラム・シフト式。ハンド・ブレーキは、ステアリング・ホイールの左下に位置するレバーを手前に引くタイプだ。サスペンションは四輪独立懸架で、コイル・スプリングと、フロント・スタビライザーを装備する。ブレーキは、特別な鋳造工程で製造されるドラム式だった。

生産の近代化も、ジュリエッタから始まった。日産50台を超えることができなかったポルテッロ工場は、このクルマを製造するにあたり設備を刷新。数年で日産200台を可能にするまでになった。



ジュリエッタの名は、1965年に一度アルファ・ロメオのラインナップから消えるが、その後、1977年には小型セダン、2011年にはハッチバックとして、2度復活した。



はたして今後、この栄光の車名を受け継ぐ新型車は現れるのであろうか。

 文=関 耕一郎

(ENGINE Webオリジナル)

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