これまで出会ったクルマの中で、もっとも印象に残っている1台は何か? クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて考える企画「わが人生のクルマのクルマ」。2台乗り継いだアルファ・ロメオのジュリア・クーペや、今なお憧れのポルシェやフェラーリよりも2台のベーシック・スポーツカーとの出会いが、人生を変えた。自動車ジャーナリストの山田弘樹さんが選んだのは、「トヨタ・スプリンター・トレノ&スーパーFJ」。 advertisement
バック・トゥ・ベーシック
ハナ垂れ編集部員の頃に乗った964カレラRSは、カルチャーショックを絵に描いたようなスポーツカーだった。パワーは標準車から僅かに10ps上がっているだけなのに、はじめからバランス取りされたエンジン・レスポンスはカミソリのように鋭く、120kgともそれ以上だとも言われる軽量化とシャシー剛性の向上によって、別物の911に仕上がっていたからだ。その後何度も964RSとは触れあったが、乗る度にその感動は色あせずに再現される。ボクにとって、珠玉の一台だ。
ピニンファリーナ時代の美しさとフェラーリ・サウンドを極めたF355は死ぬまでに何としても手に入れたい永遠のアイドルだが、どう背伸びしてもその夢は果たせそうにない。
アルファ・ロメオはGT1300Jr.と、その勢いから乗り換えたGTA1300Jr.が私のエンスーの基礎を作り、ティーポ33/2を運転したときには興奮の絶頂を味わった。
近代レーシング・スポーツでいうとBMW M6やメルセデスSLSといったGT3カー、BMW M4やアウディR8のGT4カーに試乗しては「これでレースに出てみたい!!」と何度も胸をときめかせた。
しかしこうしたクルマたちがボクの人生を変えたか? というと、それはちょっと違う。その答えとしてボクが用意したのは、トヨタ・スプリンター・トレノ、通称“ハチロク”と、スーパーFJ(RD10V)という、2台の小さなベーシック・スポーツである。
ハチロクがドライバーを育てるクルマというのは言い尽くされた話で、これを今さらくどくどと繰り返すつもりはない。ただひとつだけ言うなら、ボクのような一般人でも常にドライビングを生活の傍らに置けた維持費の安さが、一番の美点だと思う。そんなハチロクも今では価格が高騰し、貴重な存在となってしまったが、勝手知ったる友として今でも1台、自分の手元に置いている。
スーパーFJは、なんと40歳を過ぎて初体験した。それまでフレッシュマン格式のレースくらいは経験していたボクだったが、スーパーFJは独学でやってきた自分のドライビング・スタイルを、あっさりと全て塗り替えてしまった。それはまさに、人生を変えるほどの衝撃だった。
先代フィットRSに搭載された1.5リッターエンジンは120ps程度のパワーしかない。それでも500kgを優に切る恐ろしく軽い車体と、究極的にピュアな縦置きミドシップの構造によって、その走りはオシッコもらすほどダイレクトだ。
走りは全てギャップの連続。小さなステアリングが求めるシビアな操縦性と、のどかなオープン・エア。ものすごく高いコーナリング・スピードに対し、とっても低いタイヤのグリップ。デフはオープン・タイプだから緻密にアクセル操作しないとすぐにトラクションをロスしてしまう。歯を食いしばってコーナーに飛び込まなければならないのに、走りは丁寧にしなければならなくて、このギャップには本当に、筆舌に尽くしがたいほどの刺激と衝撃だった。
ドグミッションの利点を活かしてクラッチを使わず、左足でブレーキを踏む運転も、このジュニア・フォーミュラで覚えた。シフトをする度に拳をフレームにぶつけ、グローブはいつも血が滲んでいた。
入門編のジュニア・フォーミュラとはいえ、ボクにとっては最高の存在だったスーパーFJ。このレーシング・フォーミュラに乗ることができたおかげでボクは911GT3RSやマクラーレン720Sに乗っても、BMW M6 GT3に乗っても、オシッコを漏らさずにいられるのだ。
そして95年型カレラ(タイプ993)を生涯の伴侶と決めることができたのも、この経験を経て、究極の中庸に気づくことができたから。
別に速く走ることがクルマの全てじゃない。でもあなたがいつか最愛のスポーツカーに巡り会いたいのなら、一度ベーシックに立ち返ってみることをボクはお勧めする。
文=山田弘樹 写真=田村 弥
(ENGINE2020年7・8月合併号)
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