2020.07.26

CARS

渡辺慎太郎さん/ポルシェが製造したメルセデス・ベンツ 500Eで学んだクルマと向き合い方

それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。自動車ジャーナリストの渡辺慎太郎さんが選んだのは、「メルセデス・ベンツ500E」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。


向き合い方を学んだ

ある日、ひと晩だけ預かった500E。それは、これまでに試したどんなクルマとも違う速さをもっていた。クルマのことをちゃんと勉強し始めたのは、それからのことである。


「あの時は本当に助かりました。もしアレがなかったら、おそらく会社は潰れていたし、私もこうしてここにはいなかったでしょう」 数年前にポルシェのとある人物が思わずそう漏らした。そもそも「最近のポルシェはSUVで稼いで会社の経営状態を盤石なものとしつつ、スポーツカーの開発も安定的に続けられている」みたいな会話をしていて、ポルシェを襲った過去の危機について話が及んだ時に、“救世主”としてメルセデス・ベンツ500Eの名前が出てきたのである。


1990年10月のパリ・サロンでお披露目、翌年2月から生産が開始された500Eは、Eクラス(W124)に初めてV8を搭載したスポーティなモデルというだけでなく、開発と生産にポルシェが関与したプロジェクトとして注目された。ただ、この“ダブルネーム”の商品には、深刻な経営状態に陥っていたポルシェをどうにか助けようとメルセデスが手をさしのべたという背景があった。それはなんとなくみんな知っていたけれど、当時のメルセデスの広報資料には「ポルシェとのコラボレーションによるもの」とサラッと書かれているに過ぎなかった。


その頃の自分はこの業界に入ったばかりで、クルマのことなんかよく知らなかった。メルセデスの124シリーズにしても、評価がとても高かったにもかかわらず、どこがいいのかさっぱり分からず、「なんか重ったるいクルマだな」くらいにしか感じなかった。


ある日、500Eの広報車をひと晩だけ預かることになった。「ポルシェが作ったベンツか!」と事の次第をきちんと理解せず、すっかり勘違いしていた自分はほんとにアホである。「5リッターのV8なんか積んでんだから、きっとすっげー速いんだろうなあ」とアホ丸出しのまま、スロットルペダルを床まで踏みつけた。すると500Eはリヤがわずかにスッと沈み、ちょっとした間があった後に怒濤の加速を開始した。ところが、その加速感はそれまで試したどんなに“速い”クルマとも明らかに違っていた。いったんリヤが下がってフロントが少し浮いた後にクルマが動き出すと、今度はまるで巨人が上からルーフを押さえ付けているかのごとくボディ全体が地面に張り付き、ステアリングは石みたいにどっしりと座ったまま、ひたすら真っ直ぐにかっ飛んで行った。焦った自分は慌ててステアリングを握り直し、おののいてすぐにスロットルペダルを戻した。


何が起こったのか、しばらくよく分からなかった。でも、記憶をたどっていくうちにじわじわと身体が熱くなっていったのは猛烈な加速のせいではなく、あの圧倒的な安定感と塊感のせいだということに気が付いた。そんな経験は若造にとって初めてだったから、物理的に機械的に構造的にどういう要因からその盤石な走りっぷりが実現しているのかなんて考えも及ばなかった。


クルマのことをもっとちゃんと勉強しようと思ったのはその後からだ。124シリーズについて学び、500Eについて調べまくった。オーバーフェンダーになっているのは当時のSL(R129)のV8のみならず、それが乗っかっているサブフレームごと移植するためだったとか、駆動輪が強力なパワーに耐えかねてスリップしないよう、アンチ・スキッド・コントロールであるASRを標準装備したとか、でもW124のボディ自体はもともと頑強だったので必要最低限の補強しか必要なかったとか、いちいち「へーなるほどそういうことか」と感心し、同時にある事象に対する原因や裏付けに巡り会う楽しさを学んだ。


クルマとの向き合い方を示唆してくれるきっかけとなった500Eについて久しぶりに書いたけれど、いま世界中は未曾有の危機にあえいでいる。30年前のメルセデスとポルシェのような出来事が、近く世界のどこかで起きてもちっともおかしくない状況になってしまった。


文=渡辺慎太郎(自動車ジャーナリスト)


(ENGINE2020年7・8月号)

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