2024.08.04

CARS

ヤフオク7万円で買ったシトロエンのオーナー、エンジン編集部ウエダ、フランスの聖地でうれしいサプライズが!【シトロエン・エグザンティア(1996年型)長期リポート#44】

シトロエン博物館、コンセルヴァトワールのバックヤードであるファクトリー・スペースにいたコンセプトカー、アクティバ2。実はこの写真を撮った直後、追い出されてしまったのだが、この日のイベント終了間際、念願叶ってじっくり眺めることができた。SM以来のシトロエン・クーペになる可能性は、もはや完全になかったのだろうか。

全ての画像を見る
13回に渡ってお送りしてきた、ポーランドとフランスという2つの国のシトロエンとエグザンティアにまつわる長期リポートの海外篇。最終回はフランス・パリ郊外の、今はもう閉館してしまったシトロエンの博物館、コンセルヴァトワール内で行われた特別なゲストを招いて行われたトークショーの続きと、秘密のバックヤードへの潜入記をお届けする。

advertisement


幻となった4WSシステム

かつてのエグザンティア開発陣、いわばレジェンドが登壇する特別なトークショーはまだまだ続く。次に話しはじめたのはエグザンティアの開発当時の足まわりの責任者であり、シトロエンのハイドロニューマチック・サスペンション部品を製造するアスニエール工場長でもあった、Emmanuel Lescaut(エマニュエル・レショー)さんだ。レショーさんはまず当時一緒に関わったスタッフについて紹介し、開発・設計部隊の規模について教えてくれた。当時はサスペンション、ステアリング、ブレーキの3つのチームにそれぞれに約70人ずつ、200〜250人が関わっていたという。




さらにイラストなどのスライドを多用しながら、タイヤの特性と自動車のコーナリング中の挙動の関係性を、スキーヤーの足の力のかけ方などを例に挙げながら紹介していく。

続いてこの時代シトロエンの、あくまでドライバー自身による緊急回避が前提であることを踏まえた、リアのスライドとドリフトを許容する車両特性について触れた後、参加者からの質問に答えながら、当時の最新技術に話が及んだ。

コンセプトカーのアクティバ1ではフロントにダブルウィッシュボーンを採用したこと、さらに4輪操舵によって、200km/h走行中にトラックを追い越すようなレーンチェンジ・テストを容易にクリアできるようになったこと。当時はシトロエンCXをベースにした4WSの実験車両が使われており、リア・サスペンションはプジョー605のものを流用していたそうだ。



「プジョーとシトロエンはセッティングについて、とても異なる哲学をお互いに持っていました。私はプジョーもシトロエンも両方大好きですが、多くの議論がありましたよ。よくパリのジャベルで話し合いましたね」

シトロエンはなぜハイドローリック・サスペンションの歴史を閉じたのか、という参加者からの質問に、レショーさんは口ぶりを変えることなく、こう答えた。





「それは高価だからです。舗装された道路が主になり、田舎はまだ路面の荒れている場所も残っているとはいえ、それが販売に結びつく要因にはなりません。ハイドローリック・システムは主流にはならなかった。金属のサスペンションも可変ダンピングなど、大きく進化しました。タイヤをはじめとするゴム素材も同様に進化しています」




グローバル化が押し進む時代を見据えての経営陣の判断は致し方ないことだったとは思う。でも、そんなあっさりと捨ててしまっていいものだったわけがない。ちょっと遠くを見るようなレショーさんの表情から、悔しさが伝わってくるような気がしてならなかった。そして彼自身が深く関わった4WSの技術も、ライバルのルノーはラグナやメガーヌで市販車へ投入できたが、結局PSAグループとしては、市販化は実現しなかった。



「時には同じテーマで戦うこともありますが、必ずしも追従しなければならないわけではありません。上層部との話し合いが上手くいかないこともありますよ。サスペンションと同じく、コストが理由ですね。ルノーの4WSのコスト解決策は賢明で、残念ながら我々は同じようなシステム簡略化のアイデアを持っていなかったのです」

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

いますぐ登録

advertisement

PICK UP



RELATED

advertisement

advertisement

PICK UP

advertisement